秋山、伊東、工藤を獲得したドラフト戦略は「裏工作」と揶揄された (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

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 そのため、秋山の場合も西武が仕掛けたと見られ、マスコミは実質GMで編成責任者の根本を追及した。だが、根本は断固として仕掛けを否定する。結局、80年のドラフトで秋山を指名する球団はなく、ドラフト外になった。途端に巨人、広島、阪急(現・オリックス)のスカウトが動き始めたものの、浦田はその先を行っていた。

「秋山はね、九産大のセレクションを受けたんです。それで帰ってきた後、大学側に聞いてみると、『プロに入りたいって』と言うわけです。僕はもともと、『もしも秋山の気持ちが変わった時には入団交渉させてもらいます』と大学側と約束していたのですが、実際、野球部の部長から『浦田さん、獲りにいってもいい』と言われたので交渉に入ったんです」

 浦田によれば、八代高は県立の進学校でもあり、秋山は自身の実力を過小評価していた。80年夏の熊本大会、自らがチームを牽引して決勝に進出し、伊東がいる熊本工高と対戦したものの、「まさか自分がプロに?」という思いがあった。それがいざドラフト外になって西武以外の球団も誘いに来ると、「オレもプロでやれるかもしれない」と気持ちが変わったのだった。

「よその球団では巨人の動きが気になりました。ただ、西武はドラフト外の選手でも、1位指名クラスの力があると見れば同じ条件を提示していましたからね。それと、秋山の場合、他の11球団はピッチャーとしての評価でしたが、西武は当初から野手として評価した。『おまえ、ピッチャーやらんと、最初から野手で』と、僕が本人に伝えたことも決め手になりました」

 ただ単に「背が高いから」という理由で投手になった秋山にとって、西武独自の評価は魅力的だった。条件面も他球団よりはるかに上だったのだろう。とはいえ、浦田が真っ先に動いていなければ、大学進学希望からドラフト外となってプロ入りへ翻意という流れもできなかった。このスカウティングのスピードは、伊東の獲得においても生かされることになる。

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