巨人と西武で大物選手の争奪戦。鹿取義隆「根本さんのすごさを感じた」 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

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 鹿取が言う「別のところ」とは、チームの近未来を見据えると「足りないところ」という意味合いもある。その不足を補うため、無名でも将来的に伸びる可能性のある選手を探して獲っている----。巨人から西武に移ったことで、とみに感じたという。

「巨人のスカウティングに関しては、西武の選手から『いっつも最後に持っていくよね?』なんて言われたこともあった。たとえば、何球団かで獲り合いになっても、巨人が出ていくとそこで決まる。『たしかにそうかな』と思ったんだけど、それでも西武が獲りにいっていたのは、根本さん、浦田さんのすごさなんだろうなと感じたね」

 ドラフト外の松沼兄弟、秋山幸二、"オリエント・エクスプレス"といわれた台湾の郭泰源----。西武は巨人と"争奪戦"になった大物を次々に獲得していく。それまでは「巨人が獲りに行くなら手を引く。競り合っても負ける」という球団ばかりだったが、西武は違った。スカウト経験豊富な根本が中心になって号令をかけ、従来とは違った方法で選手を獲りにいった。

 たとえば、選手の親や親戚、恩師と親密な関係を築いていく。さらにはアマチュア野球関係者のみならず、高校、大学、社会人チームの先輩・後輩から自治体の首長や地元の名士まで、全国に広がる人脈をフル活用する。そうして巨人よりも先行して獲得する。鹿取自身、一選手の立場でも、「また西武に獲られた」といった空気を感じることはあったのだろうか。

「そこまではなかったし、球団としても獲れなかった影響はとくになかったと思う。言い方は悪いけど、巨人が最後にお金を積んで、いい条件を出せば、まだいい選手を獲れた時代だったから。ただ、郭泰源は巨人に入ると思っていたので、何か変わってきたのかな、とは感じていた。実際、チーム内で『西武はいい選手獲るよね』とか話していたから」

 1983年、巨人は初めて日本シリーズで西武と戦い、3勝4敗で敗れた。2度目の87年は清原和博と桑田真澄の"KK対決"が注目されたなか、巨人の守備のスキを突く西武の好走塁が光るなど、野球の違いを見せつけられて2勝4敗。鹿取自身、マウンド上で苦い思いをしたが、この時は力の差を感じていなかった。

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