2020.09.10

浅村栄斗「能力だけで打ち続けるのは無理」。
フロック→真の実力へ変貌した転機

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Kyodo News

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 2010年8月10日。当時、西武2年目の浅村栄斗が刻んだプロ初アーチは、Kスタ宮城(現・楽天生命パーク宮城)だった。

 その記念すべき一発から10年が過ぎた今年9月4日、楽天2年目を迎えた浅村は、同じく仙台で通算200本塁打を達成した。

昨シーズン、自己最多の33本塁打を放った楽天・浅村栄斗 杜の都で描いた2本のメモリアルアーチ。

「200号は素直にうれしいですね。これからもチームに貢献する1本を積み重ねていけるように頑張ります」

 そのコメントはまるで、史上108人目の快挙に浸ることなく先を見据えているようである。

 通算200本塁打という記録。今季は楽天で4番を任されるだけに、すっかりホームランアーチストとして定着した浅村ではあるが、本人の言葉を借りれば、それとは正反対の認識を持つ。

「野球を始めてから今の今まで、自分がホームランバッターとは1回も思ったことはありません。『ヒットの延長がホームラン』って感じでずっとやっています」

 そう語る浅村が打者としてスケールアップを遂げたのには、確固たる理由がある。

「どうやって確率よく打てるか?」
「多くのヒットを打つためには飛距離も必要」

 この探求が浅村の幹を太くし、日々の成長を促してきた。

 確率−−すなわち打率の向上であり、得点機で効果的な一打を増やすため、浅村は頭を使うようになった。プロ入りしてからしばらくは「ただ、がむしゃらにやっていただけ」と浅村は言う。

 5年目の2013年。打率.317、27本塁打、110打点と打撃三部門でキャリアハイの数字を残し、自身初のタイトルである打点王に輝いたが、この年はフロック的な意味合いが強いと浅村は振り返る。

 そのことを物語るように、翌年から2年間は打率2割7分程度、本塁打も15本に届かず、打点も思うように伸ばせなかった。これらの成績が、浅村に考えさせるきっかけをつくった。

「能力だけで打ち続けられるなんて無理なんですよ。対戦するチームのピッチャーとか、いろんなデータを頭に入れる。それを踏まえて自分で考えながら打席で対応していかないとダメだと思いましたね」