2020.04.20

日本シリーズ史上初の本塁打直前。
杉浦享は「イヤだな」と感じていた

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

当時を語った杉浦氏 photo by Hasegawa Shoichi 打席に入る際に、杉浦は鹿取・伊東勤バッテリーの配球を予想していた。

「まずは、ゴロを打たせるためにアウトコース低めにシンカーを投げてくるだろう。そして2球目は見せ球として、インコースにボール気味のストレートを投げてくるんじゃないか? あるいは、初球と同じアウトコースにシンカーか?」

 そんな思いを胸に杉浦は左打席に入ったのだった――。

【山田久志に封じ込まれた苦い記憶】

 ヤクルトが初めて日本一に輝いた1978(昭和53)年の日本シリーズ。その初戦でも、この時と似たような場面があった。5-6と1点のビハインドで迎えた9回裏、二死満塁の場面で打席に入ったのが、当時売り出し中だった26歳の杉浦だった。マウンドには、4年連続の日本一を目指す阪急ブレーブスの大エース、山田久志が君臨。山田は初回から投げ続け、球数は150を数えていた。

 ここで杉浦は粘った。フルカウントになってからもファールを連発して、甘いボールが来るのを待ち続けた。それでも、山田はやっぱりエースだった。杉浦に対する11球目、杉浦が放った打球は力なく、セカンドの(ボビー・)マルカーノへのフライとなり、ヤクルトは初戦を落とした。

 若き日の杉浦にとって、忘れることができない悔しい場面になった。山田の前に散ったあの日から、14年が経過していた。この時、杉浦はどんな心境だったのか。

「山田さんと対戦した1978年の日本シリーズのことは、この時はすっかり忘れていました。後になって、『あぁ、そういうこともあったな』と思い出した程度です。それよりも、まずは鹿取と伊東バッテリーの配球を考えながら、『とにかくリラックスしよう』。そんな思いだったはずです」