「母国に帰れなくなった助っ人」は、なぜプロ野球で成功できたのか? (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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 ちょうどその頃、母国では政変が進行しつつあった。58年オフに一時帰国したバルボンさんが再び日本へと向かった直後、59年1月にキューバ革命が起きる。カストロ政権が成立すると米企業の財産を国有化する政策によってアメリカとの関係が悪化し、のちに国交が断絶。結果、バルボンさんは長らくキューバに帰れなくなった。日本滞在を余儀なくされ、個人の力ではどうしようもなく人生を左右される苦難があったなか、なぜ長年、助っ人として活躍できたのだろうか。

 スカイマークスタジアム(現・ほっともっとフィールド神戸)内のオリックス球団事務所。応接室で10分ほど待っているとバルボンさんが現れた。立ち上がって挨拶をすると一瞬、背筋をピンと伸ばし、笑顔で「ヨロシク」と応えてくれた。すらりとした細身の体型で褐色の肌にはつやがあり、73歳とは思えない。まずは初来日の記憶をたどってもらう。

「もう50年以上も前の話、当時、キューバから日本に来るまで3日かかったよ。ジェットない時代、プロペラや。ハバナからマイアミ行って、シカゴ、カリフォルニア行ってな。カリフォルニアからハワイだ。ハワイ着いたらね、ものすごい暖かかった。だから日本も同じとばっかり思ってたんや」

 来日は2月のことだったから日本は真冬。半袖姿のバルボンさんを乗せたプロペラ機が羽田空港に到着した。

「着陸して外見てたらね、白い粉いっぱい......。なんじゃあ? これっ。そしたら雪や。もちろん見たの初めて。キューバではないわな。それから東京、2〜3日おったけど、寒くて外出なかった。今みたいに暖房ないし、旅館泊まったから火鉢あるだけ。こりゃ寒い! そこでキューバに帰りたくなったわ。でも、帰らんかったね。帰らんで、あれから50年以上経ってる。ハッハッハ」

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