2019.10.11

工藤公康は肉離れを隠して先発。
全力疾走で「ブチ」と不穏な音がした

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

【「西武のエースは渡辺久信だと思っていた」】

――「ID野球」について、石毛宏典さんは、「西武だって、データに基づいた細かい野球をやっていた」と反発し、秋山幸二さんは「うちのほうがもっと早くデータ野球を採り入れていた」と発言しました。工藤さんはどうお考えですか?

工藤 もちろん、西武だってデータに基づいて細かい野球をやっていましたよ。データを駆使して、相手一人ひとりに対しての細かいミーティングをやっていましたから。でも、「ヤクルトのほうがもっと細かい野球なんだろうな」という思いはありましたね。

現在はソフトバンクの監督を務める工藤氏 photo by Hasegawa Shoichi――ある意味では、「野村さんの幻影」に対する警戒心が勝っていたんですね。

工藤 そうかもしれませんね。もちろん、それまでの西武がやっていた「バッテリーを中心に、相手に点をやらない野球」とか、「ノーヒットでも点を取れる野球」に対する自信はあったし、そこに迷いはなかった。それでも、つい「弱点を見抜かれているかもしれない」と感じながら、マウンドに上がっていた記憶があります。

――当時のライオンズには、郭泰源投手、渡辺久信投手や、1992年に大活躍した石井丈裕投手など、豪華メンバーがそろっていました。当時のライオンズのエースは誰だったのでしょうか?

工藤 僕の中では、渡辺久信くんがエースだと思っていました。彼自身がどう思っていたのかはわからないけど、それは疑う要素は何もなかったですね。

――当の渡辺久信さんは、「当時の西武にエースはいなかった」と言い、エースというのは「稲尾和久さんだったり、東尾修さんだったり、絶対的な存在」と話していました。どうして、工藤さんは「ナベがエースだ」とお考えなんですか?

工藤 僕らがプロに入ったときに、最初に「エースというのは少なくとも3年連続で2桁勝利を挙げた投手」と言われました。それぐらいしっかりとした実績を残さなければいけないものだったんです。そして、チームメイトが「こいつで負けたのならしょうがない」と思われる存在じゃなきゃいけない。きちんとローテーションを守って、しっかりと実績を挙げた投手。それをクリアできていたのが、唯一、渡辺久信なのかなと感じています。