2019.09.08

借金返済のためプロ野球に「転職」。
酒豪打者・永淵洋三の数奇な人生

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「とにかく眼力というんですか、三原さんはチームを作るためにはいろいろ、選手の技術とか、人間性とか、見る目がすごかった。しかも全然、我々とは頭の細胞が違う。何を考えてるかわからんから、あのおっさん、怖かったですよ。選手と三原さんと、個人ではまず話すことはなかったしね」

 それでも「滅多にやらない」ミーティングでの三原はいたって話がうまく、1時間であれば1時間があっという間に終わるぐらい、内容に惹きこまれたという。

「もう40年以上も昔なので、細かい話の内容は忘れました。でも、話すことで人を惹きつける魅力があって、聞いてハッと思ったり、こっちのやる気が起きたりした、ということは今でもはっきり憶えてますよ」

 おのずと、異例の起用法にも納得してプレーしていた姿が想像される。

「納得も何も、僕の場合、選手はどういう形であれ試合に出ないとしょうがない、と思ってましたから。確かに、二刀流でちょっとだけやりましたけど、とにかく、試合に出られるならピンチヒッターでも、ワンポイントでも、なんでもよかったわけですから」

 68年4月6日、平和台球場での対西鉄開幕戦。永淵さんは代打でプロ初出場を果たして結果は三振。翌日のダブルヘッダー第1戦では途中出場でレフトを守り、第2戦では7回にプロ初登板を果たすと三者凡退に抑えて交代。あえて1試合ごとに役割を変え、着々と「二刀流」の準備をしているように受け取れる。

 続いて永淵さんは4月12日の阪急(現・オリックス)戦、三番手で3イニング登板。降板後にはライトを守り、打っては3打数2安打だったが、初の「二刀流」も負け試合のため目立たなかった。

 むしろ「高校野球じゃあるまいし」と、あざ笑う声もあったそうだが、評価が変わったのは14日の阪急戦に登板したあと。迎えた16日、日生球場で行なわれた東映(現・日本ハム)戦。「二刀流」というよりも「一人三役」をこなしての大活躍だった。

(後編につづく)

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