バレンティンは「辛抱」と日々格闘。助っ人史上12人目の記録は近い (3ページ目)

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton
  • photo by Koike Yoshihiro

「手術明けとなった2015年のシーズンは、開幕からしばらくは無理だと言われていたのですが、早く復帰したくて仕方ありませんでした。それで4月24日に一軍復帰したのですが、その試合で打球を追った際にまだケガをしてしまいました。手術したアキレス腱はまだ治りきっておらず、それをかばってプレーしていたら左大腿直筋を肉離れしてしまって......。結局、9月後半まで復帰できませんでした。

 その時に学んだことは、繰り返しになりますが、辛抱することの大切さです。無理に復帰したことで、別のところを痛めてしまった。長くプレーしたいと思うのであれば、体を大事にしないといけません。野球が大好きですし、私のすべてです。子どもの頃からずっと野球をしてきて、それしか知りません。なのに体を大事にしないで、突然野球ができなくなってしまったら......絶対に悔いが残りますし、体のケアについても辛抱強くやっていかなければいけません。

 1000試合出場や300本塁打(あと20本 814日時点)も大事なことですが、それよりも選手として少しでも長くプレーしたいと思っています。(記録を)達成したからといってヤクルトのユニフォームを脱ぐわけにはいかないので、あと4、5年プレーするために、まだまだ辛抱強さが必要だと思います」

 バレンティンが復帰を急いで、シーズンを棒に振ったのが2015年。結局、この年は15試合にしか出場できなかった。ケガが完治するまで我慢して、復帰を遅らせることができていれば......もっと早く1000試合出場は達成されていただろう。とはいえ、バレンティンにとって1000試合出場はただの通過点に過ぎない。まだまだプロ野球選手であるために、バレンティンの辛抱強さとの戦いは続く。

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