焼肉は1回10万円以上。川崎憲次郎が明かす「プロ野球とお金」の話 (3ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

──それでも1993年には戦列に復帰して、10勝9敗、防御率3.48。スワローズのリーグ連覇と日本一に貢献しています。

川崎 僕は第4戦と第7戦に投げさせてもらいました。前年の悔しさがあったので、日本シリーズのマウンドに上がったときには、うれしくて、ムチャクチャ興奮しました。3勝3敗で迎えた第7戦に投げたことは忘れられません。

──相当なプレッシャーがかかったんじゃないですか。

川崎 はい。野村克也監督が珍しく試合前に声をかけてくれて、「緊張してるのか」と聞かれました。「はい」と答えたら、「結果は考えるな。おまえのピッチングをしろ」と言われて、ちょっと落ち着きました。

──川崎さんは1993年から1997年まで、5年間で26勝を挙げましたが、この間の最高年俸は1994年の5500万円です。プロ野球では、年俸以外にも収入があると聞きますが、実際はどうでしたか?

川崎 優勝争いをしているときには、試合ごとに賞金というのか、報奨金というのか、そういうものがありました。1試合あたり数十万円から数百万円と決まっていて、貢献した選手に分配される仕組みでした。ジャイアンツ戦が高額で、対戦相手によって金額にバラツキがありましたね。ジャイアンツ相手に完封勝ちしたときにはかなりもらった記憶があります。文字通り、ニンジンをぶらさげられている感じです(笑)。

仲間との食事は1回10万円以上

──1998年に17勝10敗、防御率3.04という成績で最多勝投手、沢村賞を獲得。そのオフにやっと1億円プレーヤーになりました。順調に成績を残し、年俸も上がっていくと、プロ野球選手は何にお金を使うようになるんですか。

川崎 やっぱり、衣食住にはお金がかかります。車に乗っていいという許可をもらって、僕が初めて乗ったのがスカイラインGT-R。当時のスワローズには「国産車に限る」という決まりがありました。だから、最高級の車がセルシオ。当時は、オフにプロ野球選手が出る番組もたくさんあったので、そのための衣装代も相当かかりました。

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る