【イップスの深層】横浜時代に中根仁が考えた「送球難がバレない秘技」 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

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 そして何より中根が感心したのは、駒田はいくら捕球が難しい悪球を投げられても、嫌な顔ひとつしなかったことだ。高低のボールを軽々とさばく駒田の姿を見て、中根は「さすがゴールデングラブ賞のファーストだなぁ」とうなった。

 そして、当時の横浜の内野陣には送球イップスとは無縁の選手がそろっていた。石井琢朗、進藤達哉、ロバート・ローズ。おまけに控え内野手の万永貴司まで盤石だった。中根が移籍した1998年には、捕手の谷繁元信を含めた5人がゴールデングラブ賞を受賞した黄金の内野陣だったのだ。中根は言う。

「琢朗や進藤がうらやましくてしょうがなかったもんなぁ......。ヒジを支点にして、指先がきれいに外へと回っていく。ああやって、ピッと指先にかけて投げられる人が本当にうらやましかったんです」

 そんなチームにあって、中根は主に打撃で貢献していく。1998年は左打者の佐伯貴弘と併用され、6番・右翼手として「マシンガン打線」の一角を占めた。チームは38年ぶりのリーグ優勝、そして日本シリーズ制覇へと突き進んだ。

 その後も右の強打者として存在感を放ち続け、移籍3年目の2000年には103試合に出場して、打率.325、11本塁打、61打点とキャリアハイといっていい好成績を残した。

 順風満帆に見えた歩みにも、常にイップスという影はまとわりついていた。それでも、中根は横浜の若手選手からこんな言葉を掛けられたという。

「中根さん、全然イップスじゃないでしょ!」

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