一軍と二軍の狭間で苦悩する沢村賞右腕。攝津正の復活はまだなのか (2ページ目)

  • 阿佐智●文・写真 text&photo by Asa Satoshi

 昨年まで通算77勝1セーブをマーク。プロでのキャリアはセットアッパーからスタートしているのでホールドも72記録している。また昨年まで5年連続開幕投手を務めており、誰もが認めるホークスのエースだった。

 ルーキーイヤーから開幕一軍入りしたこともあって、ファームのマウンドにはおおよそ無縁だった攝津が、無名の若い選手を相手に投げながら出番を待っていることに、いくら人材豊富なホークスとはいえ、驚きを隠せない。

 昭和の時代なら、エースと呼ばれた男は二軍での調整など受け付けることはなかった。たとえば、かつてのホークスの大エース・杉浦忠は投げすぎがたたり、晩年は右腕がボロボロになっていたが、手術からの復帰の舞台に用意されたのは、接戦でのリリーフ登板だった。もちろん、一軍の試合である。

 しかし近年は、大ベテランがファームの舞台に立つことは珍しくなくなった。海の向こうのメジャーでも、実績ある選手がマイナーでプレーをすることは少なくない。

 これまでも、エースの攝津が二軍のマウンドに立つことはあったが、あくまで一時的な調整の場であって、彼の"住まい"は一軍だった。しかし、現在、彼が置かれている状況は、これまでと大きく違っている。

 5年連続開幕のマウンドに立ちながら、昨シーズンの攝津はその期待に応えることができなかった。2勝2敗、防御率は自己ワーストとなる5.59。先発転向以来、5年連続して継続していた2ケタ勝利も途切れてしまった。

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