「戦力外通告の男」がメジャー目前に。中後悠平が語る波乱万丈の1年 (6ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sportiva

 日本に帰国する直前、ある若手選手が声をかけてきた。彼は、ルーキーリーグ当時の同僚だった。

「『オレのこと覚えているか?』と聞かれたので、『覚えてない。しゃべったことないやろ?』と通訳を介して答えると、『でもオレはお前の活躍を知ってる』と」

 当時、80人ほどいた場所から、最後3Aに残ったのは中後のみ。生き残り続けた者に対するリスペクトが、言葉と表情から伝わってきた。

「ルーキーリーグからローエー、ハイエー、ダブルエーは飛んでトリプルエー。『こんなうまいこといってええんかな』と。そこはちょっと自信になりました」

 そして長いシーズンを終えたとき、自らの心境の変化にも気づいたという。

「今、パッと投げている自分の姿を思い浮かべる場所は、日本じゃなくアメリカなんです。メジャーに興味がなかった僕がですよ。でも、もしかしたらメジャーに行った選手たちもこんな風に考えるようになったんかな、と思ったりしますね。メジャーの話題が出るようになってから、徐々に『挑戦してみたい』『あのマウンドで投げてみたい』と思うようになりました」

 日本復帰の可能性を問うと、明快な答えを返してきた。

「もし、日本からまた声をかけてもらうようなことがあれば、そのときはどう考えるかですが、今はアメリカで来年もう1回勝負する、その気持ちだけです。少し前まではアメリカの野球とか、メジャーとかほとんど興味がなかったのにメジャーのマウンドで投げたい、って気持ちしかないですから。とにかく来年、結果を出したいです」

 メジャーへの思いがこれだけ強くなったのも、1年間をやり終えての手応えがあればこそ。

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