「期待はずれのドラフト1位」は、なぜイタリア料理のシェフになったか (5ページ目)

  • 取材・文:元永知宏 Text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News


■38歳からのシェフ修業。目標があれば迷わない■

──「選手を引退したら野球とは関わらない」と決めていた水尾さんが選んだ仕事は?

「私は料理の世界に進むことを決めました。いっぱしの料理人になるには10年かかると言われています。引退は38歳でしたから、48歳になったときに一人前になっていればいいと考えた。下積みを経験しないことにはうまくいくはずがないと思っていたので、 時間をかけてじっくり覚えようと覚悟を決めました」

──料理の世界は厳しいと聞きます。朝から晩まで皿洗い、夕方から調理学校に通う毎日は大変だったと思うのですが?

「みんなに『料理の世界は簡単じゃない』『プロ野球とは違うんだぞ』と言われましたが、実際に経験してみてプロ野球のほうが肉体的にははるかにきつい。だから、10時間ずっと立ちっぱなしでもつらくはなかった。何時間も走るほうが大変でした(笑)。18、19歳の人なら『もっと遊びたい』『この道でいいのか』という迷いもあるでしょうが、私にはもう選択肢はありません。言われたことは全部『はい』と素直に聞きました」

──水尾さんは現在、東京・自由が丘でイタリアンレストラン「トラットリア ジョカトーレ」を開き、オーナーシェフとして料理を作り続けています。

「料理人は、本当に好きな人でなければできない仕事です。本当においしいものを作ろうと思えば、手間がどんどん増えていきます。何回も何回も裏漉ししてやっと「これだ!」と思えるものができるのです。もしかしたら、食べている人は気づかないかもしれませんが、手抜きしたかどうか、やるべきことをすべてやったかどうかは作った本人が一番わかります」

5 / 6

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る