ひちょり少年を笑う者は、いつも「野球」で黙らせてきた (5ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 甲斐啓二郎●写真 photo by Kai Keijiro寺崎敦●取材協力 cooperation by Terasaki Atsushi

「それからですね。上の人たちにも平気で『お願いします』と言えるようになって、コミュニケーションが取れるようになったのは。今にして思えば、なんであんなに上の人たちにツンツンしてたのか、自分でもわからないんですけどね(笑)」

 新庄とのかかわりを通して徐々に変わり始めた森本だったが、さらに翌2005年も次なる強敵が現れた。森本は内心、こう叫んでいたという。

「なんで稲葉を獲るんだよ!」

 フリーエージェント宣言をしてメジャー移籍を目指したものの、オファーがなかった稲葉篤紀が、日本ハムと契約を結んだのだ。社交性を取り戻していた森本だったが、稲葉に対しては「ツンツンしていました」と笑う。

 だが、森本が稲葉の野球に対する姿勢に感銘を受けるまで、時間はかからなかった。森本は「稲葉さんのプレースタイルはチームを変えた」と断言する。

「ミスをしたり、凡退した後の切り替えがうまいんです。ベースランニングも攻守交替もいつも全力で走るし、練習もすごくする。『なんで獲るんだよ』なんて思ってごめんなさい......って感じでした(笑)」

 そして2006年には、坪井が故障したこともあり、森本は年間通してレフトの定位置を獲得する。レフト・森本、センター・新庄、ライト・稲葉の鉄壁の外野陣は他球団の脅威になった。

「あの頃は、試合前から『今日は勝ったな』と思えるくらい、チームがひとつになっていることを肌で感じていました。相手は硬くなっているのに、こっちは『いつも通りいくぞ~!』という感じで。2006年から2007年の2年間は、ずっと『ゾーン』に入っていたような気がします。過ぎてしまえば、ほんの一瞬の出来事みたいでした」

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