【WBC】侍ジャパン2009「勝負を分けたあの継投」 (2ページ目)

  • 木村公一●取材・文 text by Kimura Koichi
  • photo by Taguchi Yukihito

 最終回はダルビッシュでいく。ベンチからの指示は、本人にも意外なものだった。前夜、山田から準決勝以後は「9回を任せるかもしれない」とほのめかされていた。そのときは「勘弁してください」と、やんわりと拒んではみせた。

 ましてやこの試合、日本は4回に5点を奪い、スコアは6-2になった。その後はともに無得点の攻撃が続き、7回が過ぎていた。

「この点差なら、9回は本来抑えの(藤川)球児さんが行くはず」

 そう、予想していたからだ。

 2点差に詰め寄られた日本だったが、8回の裏に3点を追加し、9-4と差はよりいっそう開いた。でも、指示が変更されることはなかった。

 プロ入りして初めての抑え役。それもWBCの準決勝。

 9回表、ダルビッシュはブルペンに残った投手たちが揃って差し出す右手拳にひとつひとつ自らの拳を合わせ、マウンドに向かった。

国際大会だからこそプライドはいらない

 国際大会で、特にプロが参加してからの成績が芳(かんば)しくない理由のひとつに"継投の難しさ"がある。

 急造チームの投手陣では、国内のリーグ戦のような、きめ細やかで、かつ臨機応変な投手の起用は難しい。首脳陣が投手個々の特性や、性格、あるいは疲労度などを完璧に把握しきれないためだ。データの少ない他国が相手という難しさもある。さらに、招集された投手たちは球界を代表する者たちばかり。そのため首脳陣とはいえ、代表チームでは選手に対する気兼ねや過度の気配りがあった。

 だから、たとえ調子が上がらずとも、一度は役割を与えた投手をその役割から外すことには、大きな決断が強いられる。勇気を持って外し、代わりに起用した投手が抑えてくれればまだいい。だが、もしその投手までもが打たれれば、致命的な敗戦につながりかねない。そのため、投手の起用は保守的になりがちだった。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る