【プロ野球】
ソフトバンク・寺原隼人「昔の僕のイメージを払拭したい」 (2ページ目)
一見すれば厳(いか)つい風貌も、根はやさしい好青年。先輩からも本当に可愛がられていた。当時の先発陣の中では斉藤和巳、杉内俊哉、和田毅、新垣渚らの「末っ子」的な存在だった。南国の宮崎生まれの気質もまた、プロの厳しさとはどこかかけ離れていた印象がある。そんな寺原だから、馬原の移籍に過剰に反応し、重い十字架を背負ってしまったのではないか、と気になって仕方がなかったのだ。
しかし、まったくの杞憂(きゆう)だった。グラウンドで馬原と寺原は普通に言葉を交わし、笑顔を見せ、普段と変わらぬ姿で練習に励んでいた。あまりに自然な様子に、見ているコチラが馬原の移籍を忘れてしまいそうになるほどだった。
練習後の取材では、当然のように馬原についての質問が飛んだ。しかし、寺原は目を逸らすこともなく、しっかりと質問者の目を見て応えるのだった。
「僕自身も2度のトレードを経験しました。プロ野球の世界では、普通にあり得る話。これが野球の世界なんです」
もう7年前の寺原ではなかった。ホークスを出された時は、「正直、最初はクソっという気持ちでした。でも、結果も残していなかったし、現実を受け止めるしかなかった」と当時を振り返る。だが、今は――「実際は外に出たことですごく成長ができた。2度の2ケタ勝利。守護神も経験した。今となっては最初にトレードに出してくれたホークスには感謝していますし、成長させてくれた横浜とオリックスにも本当に感謝しています」
野球に対する考え方も変わった。投げるボール自体も強くなったと自負する。
「ホークスのファンの皆さんは、昔の僕のイメージのままだと思う。そのイメージを払拭したい」
18歳で福岡にやってきた右腕は、今年10月に30歳になる。2月1日、久しぶりにホークスのユニフォームを着て臨むキャンプが今は待ち遠しい。
「何だか新人のような気持ちですね。緊張は......しないっす(笑)。もう12年目ですから。12年目の新人ですよ!」
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