【プロ野球】高津臣吾「高いレベルで監督をして、自分のチームを作りたい」 (2ページ目)

  • 大田誠(テレビ朝日 Get SPORTS取材班)●文 text by Ohta Makoto(tv asahi Get SPORTS crew)
  • スポルティーバ●写真 photo by Sportiva

 いつしか見失ってしまいそうになっていた野球への熱い思いが、高津を原点に立ち返らせ、新たな境地へと導くことになる。2012年、現役にこだわり続けてきた高津が、ついに「引退」を決意した。

「選手兼任監督の話が来てからですね。僕も指導者の勉強をしなきゃいけないんだろうなと。いつまでもプレイヤーとしてできるわけではないですから。次のステップを考えた時に、これはすごくいいチャンス、いい環境を与えてくれているのではないかと思いました。次のステップ、指導者としての考え、これからの勉強も考えた時に、現役は最後にしようと思いました」

 今シーズン、選手兼任監督に就任したものの、若い選手たちのためにも監督業に専念する思いを強めていた。湧き上がる「もっと野球が上手くなりたい」という抑えようのない気持ちとの狭間で、葛藤を繰り返していた。

「チームに指導者が3人しかいないので、バッティングピッチャーをやったり、ノックを打ったりしなきゃいけない。もちろんこれは監督の大事な仕事のひとつです。ただその一方で、ピッチャーとしてもうちょっとスピードが出せたんじゃないか、もっと長くできたんじゃないか、といろいろ考えましたね。人のピッチングを見ていて、こうやって投げたらもっとカーブはよく曲がるのにとか、こうやって投げるからコントロールが悪いんだということを考えると、自分もまだまだ上手くなれたんじゃないかと、すっと考えていました」

 そうは言いながらも、高津は、自らの経験を最大限に生かした指導論を展開していく。まず取り組んだのが、高校・大学と『2番手投手』という苦しい立場、厳しい上下関係の世界で生きてきたからこその環境作りだった。

「絶対に選手たちのやりやすい環境は整えてやろうと思っていました。こちらも言いたいことは言いますけど、選手たちも言いたいことが言える環境を作りたかった。それこそ、普段の世間話のような感じで野球の話ができる環境ですね。そうすることで、バッターボックス、マウンドに立った時に、迷いのないスイング、ピッチングができるようになる。怒ることはほとんどなかったですし、怒りたくてもそれを態度に出すことは我慢していました」

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