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元チームメートが語る野茂英雄が切り拓いた日本人メジャーリーガーの道と1995年地区優勝 (2ページ目)

  • 奥田秀樹●取材・文 text by Okuda Hideki

【野茂が勝利投手となった1995年の地区優勝決定試合】

 今から30年前。同じドジャースのユニフォームを着て、地区優勝がかかった試合で勝ち投手となったのが野茂英雄だった。当時は、山本と同じ27歳。9月30日、敵地サンディエゴでのパドレス戦に先発すると、美しいトルネード投法から力強く腕を振り続けた。直球は切れ味鋭く、伝家の宝刀フォークボールでも次々に空振りを奪う。結果は8回117球を投げ、6安打11奪三振、2失点(自責1)。チームに7対2の勝利をもたらした。試合後、トミー・ラソーダ監督は「野茂を生み、育ててくれた彼の両親に感謝したい。そして野茂を送り出してくれた日本にも感謝したい。今晩はすばらしかった」と称賛を惜しまなかった。

 ドジャースはその年、シーズン終盤までコロラド・ロッキーズと激しく優勝を争い、この日も1ゲーム差という状況だったが、野茂の力投によって、世界一に輝いた1988年以来となる7年ぶりのポストシーズン進出を決めたのである。

 印象的だったのは、当時のゼネラルマネジャー、フレッド・クレアの言葉だ。彼は野茂の挑戦を「パイオニアとしての忍耐強さ」として、特に称えた。30年前、日本人選手がメジャーに移籍する明確な道筋は存在せず、日米の野球の違いについても、言葉の壁についても、助言をくれる人はほとんどいなかった。そんななかで海を渡った野茂の覚悟は、ほかの誰にも真似できるものではなかった。クレアGMは、こう語っている。

「彼が経験したこと、やらなければならなかったすべてのことを考えてみてください。何度も苦難を乗り越えてきたのです。野茂英雄であれ、カーク・ギブソン、トレーシー・ウッドソン、あるいはフランクリン・スタブスであれ、同じです。困難に耐えたのです」

 1988年のワールドシリーズ第1戦で、ケガを押して劇的なサヨナラ本塁打を放ったギブソン。そして、ウッドソンやスタブスもまた、地道な努力と忍耐で世界一に貢献した選手たちだった。その系譜に連なるのが野茂だと言うのだ。華やかなスターである以前に、想像を絶する苦労と逆境を耐え抜いた真のパイオニアだった。

 メジャー1年目の野茂は、特に6月に絶好調を迎え、オールスターゲームでも先発を任された。しかし8月、9月は調子を落とし、「球速が落ちているのはケガのせいではないか」と不安視される場面もあった。

 だが、大一番のマウンドで彼は見事に甦った。9回の攻防ではダグアウトで仲間と並んで試合を見守り、最後の打者が二飛に倒れると、真っ先にフィールドへ駆け出した。歓喜の輪に飛び込み、抱擁を繰り返す。そしてクラブハウスではシャンパンファイトに酔いしれた。試合後、野茂は「なんとか自分らしいピッチングをと、それだけを考えていたので、それがよかったのかもしれないです」と静かに振り返った。

 会見の終盤には、ちょっとしたサプライズもあった。同僚であり、韓国球界にとってのパイオニアだった朴賛浩が背後から近づき、生クリームをたっぷり載せた紙皿を野茂の顔に押しつけたのだ。顔一面を真っ白にしながら、「本当にうれしいです」と安堵の表情を浮かべた姿は、今も忘れがたいシーンとして刻まれている。

 その1995年のチームで、キャッチャーのマイク・ピアザと並び野手陣を引っ張っていたのが、一塁手のエリック・キャロスだった。当時27歳。32本塁打、105打点を記録し、ナ・リーグMVP投票でも5位に入る活躍を見せた。と同時に、パイオニアとして挑戦を続けていた野茂を、間近で見てきたチームメートでもある。現在はドジャースの実況解説者を務める57歳のキャロスに、当時を振り返ってもらった。

現在はドジャース戦の解説を務めるキャロス氏 photo by Okuda Hideki現在はドジャース戦の解説を務めるキャロス氏 photo by Okuda Hideki

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