専修大・小柴滉樹の大学野球生活 指定校推薦入学の小兵が「コイツ誰だよ?」から首位打者を獲得するまで
専修大・小柴滉樹インタビュー(前編)
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で春と夏の甲子園大会を奪われたのが、この秋で大学野球を引退する4年生たちの代である──ドラフトで指名された明治大の宗山塁(楽天1位)、関西大学の金丸夢斗(中日1位)たちだ。
4年春のリーグ戦で首位打者を獲得した専修大・小柴滉樹 photo by Motonaga Tomohiroこの記事に関連する写真を見る
【指定校推薦で専修大に入学】
2020年夏、地方大会の代わりに行なわれた西東京独自大会で日大三、国士舘などの強豪を破り決勝まで進んだのが佼成学園。そのチームをキャプテンとして率いたのが、身長170センチ、体重65キロの三塁手・小柴滉樹だった。
堅実な守備と状況に応じたバッティング、小技には定評があったが、小柴の進学先が「実力の東都」で最多の優勝回数を誇る専修大だと聞いて、筆者は不安を覚えた。
専修大は長く2部に低迷しているが、全国から野球エリートが集まってくる。そのなかで、指定校推薦で入る小柴が活躍する姿を思い描くことができなかったからだ。たしかな野球観とリーダーシップを備えていても、ストロングポイントに欠けるように思えた。
しかし2年の秋、1部最下位の駒澤大との入替戦に出場し、3年春にはレギュラーポジションを獲得。新チームとなった3年秋からキャプテンを任され、4年春のリーグ戦では首位打者を獲得した。
入部した時に誰からも期待されなかった小柄な内野手は、なぜチームの中心選手になれたのだろうか。
グラウンドに隣接する寮に入れるのは、スポーツ推薦で入学した者かベンチ入り選手だけ。1年時、小柴は自分でアパートを借り、自炊生活を送っていた。
180センチを超えるチームメイトが多数いるなかで、明らかに小さい。しかも甲子園出場の実績もない。
「僕のような選手にチャンスが少ないのは当たり前だと思っていました」と、小柴は入学当時を振り返る。
「周りの選手を見ると、体も大きいし、運動能力もすごい。リーグ戦に出るとか、レギュラーになるとかは考えられませんでした。先輩からは『コイツ誰だよ?』という目で見られました。普通にやっていたら相手にしてもらえない。それは承知のうえで、自分がどれだけできるかと考えました。『やれるだろう』が半分、『無理かも』が半分でしたね」
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著者プロフィール
元永知宏 (もとなが・ともひろ)
1968年、愛媛県生まれ。 立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。 大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。著書に『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)、『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)など多数。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長