夏の甲子園 低反発バットで野球が変わった ブレークスルーを果たした指揮官たちの挑戦
もう勢いのある若い監督という立ち位置ではなくなった。就任して25年になる関東一の米澤貴光監督にとって3回戦は絶対に勝たなければいけない相手だった。
「変な意識はないですけど、やっぱり高校野球界を引っ張ってきた人たちを、僕らはしっかり見なきゃいけないと思う。変えていくことも大切なんですけど、経験ってすごく大事。明徳義塾はすべてに徹底しているチーム。狙い球だったり、守備も含めて、安定感とか、やっぱり強いなって思います」
そう話す米澤監督の関東一は、ようやく名将・馬淵史郎監督が率いる明徳義塾(高知)を3度目の挑戦で勝利を手にした。
【3度目の挑戦で明徳義塾に勝利】
ひとつのミスも許されない、采配ひとつで変わってしまうような試合だった。
明徳義塾が先制し、関東一は追いかける展開だったが、5回裏に相手のミスで同点に追いつくと、米澤監督は初戦に続き、リリーフ待機していたエースの坂井遼をマウンドに送った。これが功を奏した。
初戦の北陸(福井)戦でもエースの坂井を早めにマウンドに上げているが、これこそが勝利に向けてスイッチを入れる瞬間だ。その北陸戦では3回にチームが逆転した直後に投入。試合の主導権を引き寄せると、その後も着実に加点して大勝した。
明徳義塾戦では、当初は坂井の前にもうひとり投手を挟むつもりでいたが、相手打線との相性を鑑みて、予定を変えたという。
「捕手の熊谷(俊乃介)とずっと話していたんですけど、速いボールのほうが明徳さんはどうなのかなっていう思いがありました。ブルペンの様子を見て、控えキャッチャーが『今日は坂井のほうがいいと思う』と伝えてきたので、そういう選択になりました」
過去2回の明徳義塾との試合は、大差がつくことはなかったが、イニングを重ねるごとにジリジリと離された。米澤監督は、そうした過去の対戦を振り返りながら采配を振るったことで、試合の流れを決めた。
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著者プロフィール
氏原英明 (うじはら・ひであき)
1977年生まれ。大学を卒業後に地方新聞社勤務を経て2003年に独立。高校野球からプロ野球メジャーリーグまでを取材。取材した選手の成長を追い、日本の育成について考察。著書に『甲子園という病』(新潮新書)『アスリートたちの限界突破』(青志社)がある。音声アプリVoicyのパーソナリティ(https://voicy.jp/channel/2266/657968)をつとめ、パ・リーグ応援マガジン『PLジャーナル限界突パ』(https://www7.targma.jp/genkaitoppa/)を発行している