甲子園出場ゼロの無名の進学校、入学当初は球速110キロ...今永昇太はいかにしてメジャーリーガーへと上り詰めたのか
今永昇太の原風景〜無名だった北筑高校時代(前編)
福岡県北九州市八幡西区に所在する北筑高校。目前にそびえる皿倉山、権現山、帆柱山、花尾山からなる帆柱連山が生徒たちを優しく見守る。標高622メートルの皿倉山展望台から一望できる市内の景色は「100億ドルの夜景」と称され、2003年には奈良市の若草山、山梨市の笛吹川フルーツ公園と並び「新日本三大夜景」に選定された。校歌も「皿倉山の青あらし」から始まるなど、自然の息吹を身近に感じながら3年間を過ごすことができる。
今永昇太は、そんな緑に囲まれた環境のなかで育った。横浜DeNAベイスターズのエースとして活躍したのち、今季からシカゴ・カブスと4年総額5300万ドル(約84億円)、最大で5年8000万ドル(約126億円)とも言われる巨額契約を結び、メジャーデビューから先発9試合で防御率0.84という歴代最高記録を打ち立てた。今や故郷の夜景と同様にまばゆい光を放つ左腕は、どのような高校時代を送り、その土台を築き上げてきたのだろうか。
今季からシカゴ・カブスでプレーする今永昇太 photo by Taguchi Yukihitoこの記事に関連する写真を見る
【入学時の球速は110キロ程度】
北筑は1978年の創立以来、甲子園に出場したことはない。ラグビー部や陸上部が使用する第1グラウンドと、野球部、サッカー部が使用する第2グラウンドがあるなど、部活動は盛んだが、県立の進学校として勉学にも力を入れており、19時30分には完全下校となる。今永が卒業したあと、2014年夏の福岡大会ではノーシードから初めて決勝に駒を進めたが、九州国際大付に16対0と私学の分厚い壁に阻まれた。
県立高ゆえ、通学区も限られており、そのなかでもトップクラスの実力を持つ選手はほかの強豪校へと進む。今永も永犬丸(えいのまる)中学時代は、軟式野球部で3番手投手ほどの実力。2009年、北筑に入学した頃は、腕立て伏せ10回もできず、球速も最速110キロほどだったという。
たが、2011年4月から野球部の副部長となった白石始(はじめ)さん(現・部長)は、最上級生になった今永を見て「びっくりした」という。
「衝撃を受けましたね。140キロちょっと出ていましたよ。軽く投げるのに、球がものすごく伸びるんです」
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著者プロフィール
内田勝治 (うちだ・かつはる)
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう