【自転車】片山右京「トラック全日本覇者がTeamUKYOを選んだ理由」
遥かなるツール・ド・フランス ~片山右京とTeamUKYOの挑戦~
【連載・第36回】
オリンピック種目のひとつにもなっている自転車競技・男子オムニアム(※)。TeamUKYOの窪木一茂(25歳)は、その競技の全日本チャンピオンだ。トラック競技でリオ五輪を目指す一方、なぜ窪木はロードレースを走り、そしてTeamUKYOに所属しているのか――。
※オムニアム=2日間で計6種目のトラック競技を行ない、各順位をポイント換算して合計ポイントを争う競技。
TeamUKYOの一員としてJプロツアーにも参戦する窪木一茂 2012年と2013年にマトリックス・パワータグに所属していた窪木一茂は、2013年末にTeamUKYOへの移籍を決意した。その直接のキッカケは、本場欧州で長年走ってきた土井雪広がそこにいたからだ、という。そもそも、窪木が大学卒業後にマトリックス・パワータグを選んだ理由も、欧州の選手たちがそのチームに所属していたからだった。
「マトリックスに入って良かったのは、ロードレースをたくさん走れるというメリットと、外国人選手がいるということだったんです。もちろん、他に日本の優れた選手もいたけれど、自分が欧州に行けない現状で本場から何か教わる方法は何かないか――と考えたとき、同じチームで外国人と触れあえばいろんな話を聞けるし、一緒に走ったり練習しながら吸収し、学んでいくことができる。そういった理由からマトリックスに入り、勉強をさせてもらっていました。
彼ら外国人選手や自分の来季(2014年)に向けた契約がどうなるかという時期に、ツール・ド・おきなわで(片山)右京さんや土井さんと話をさせてもらう機会があって、チームを移ろうという気持ちが自分の中で大きくなったんです」
この年(2013年)、土井は8年間を過ごした欧州のプロツアーチームを離れ、TeamUKYOに移ってきた最初のシーズンだった。自転車ロードレースの本場を最もよく知る日本人選手である土井は、若い日本人選手たちにとって、おそらく眩(まぶ)しいような存在だっただろう。
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著者プロフィール
片山右京 (かたやま・うきょう)
1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。