瀬戸大也が初五輪で知った金の重み「大舞台で力を出し切った人が獲るもの」 (5ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Insidefoto/AFLO

 その後に出場した200mバタフライは、世界ランキング2位の記録を持って臨みながらも自己ベストを更新できず、5位に終わった。早大の後輩・坂井聖人が自己記録を大幅に塗り替えて2位になったことと比べても対照的な結果だ。メダルを獲得した安堵感こそあったものの、勝負をかけた400m個人メドレーで同い年のふたりに大差をつけられて完敗し、世界選手権連覇のプライドさえ吹き飛ばされてしまった。目標にしていた大舞台で本物の悔しさ味わったことが、瀬戸の心を覚醒させた。

 瀬戸はその後、9月からW杯を転戦し、アジア選手権、世界短水路と毎月のように大会に出場した。東京五輪で優勝するためには何をすればいいのかと考えた結果の取り組みだった。17年世界選手権は200mバタフライと400m個人メドレーの銅に終わったが、18年は世界短水路200mバタフライを短水路世界記録で制し、400m個人メドレーは4連覇を達成。結果は徐々に出始めていた。

 厳しい耐乳酸トレーニングも自ら志願して練習に取り入れ、19年の世界選手権に臨んだ。結果的に2冠を果たしたが、400m個人メドレーはライバル不在のレースで、記録は4分08秒95と悔いの残る内容だった。

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