【水泳】寺内健が描く新たな夢「飛び込み選手としての道を極めていきたい」

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 山本雷太●写真 photo by Yamamoto Raita

『リスタート・アスリート』Vol.3

4度の五輪出場を果たした寺内健は2008年北京五輪後、飛び込み競技の世界から引退した。彼が背負い続けた、「日本の飛び込み界を牽引しなければ」という重圧と責任はあまりにも大きく、北京五輪以降の競技者生活は考えられなかった。にも関わらず、再び飛び込み競技の世界へ戻ってきたのはなぜなのか。そして寺内が描く未来とは。

復帰のきっかけとなった北島康介の一言。
「もう一回やらないの?」

 ミズノの社員として仕事で行った2010年の競泳日本選手権。寺内健は久しぶりに顔を合わせた北島康介に「もう一回やらないの?」と声をかけられた。北島は1年間の休養から復帰したばかりだった。50mと100mで2位になってパンパシフィック選手権の代表入りを決めた北島は、自分のペースで楽しく競技を続けていると、明るい表情で話していた。

 寺内はその時、自分の心がゆらりと動いたように感じた――。

 2008年8月、4回目の五輪出場となった北京大会を終えて、引退を表明した寺内は、それまで所属していたJSS宝塚のプールで子どもたちの指導などをする生活を送っていた。

 しかし、小学5年から28歳になるまで飛び込みしかして来なかった自分に必要なのは社会経験を身につけることだと感じ、09年4月にスポーツメーカーのミズノに入社。今までとは別の角度からスポーツに関わることで、将来的に飛び込みの普及にも貢献できればと考えるようになった。

 競泳用の水着企画や営業の仕事など、初めて経験するサラリーマン生活は新鮮だった。営業は今までと違う様々な出会いがあり、「現役のとき見てたよ」と取引先で声をかけられることもあった。

 寺内がいなくなった飛び込みでは、10年4月の国際試合選考会で高校生の坂井丞(さかい しょう)が3m板飛び込みと高飛びこみで優勝。後継者の成長をみて安堵する気持ちになった。

 だが、そんなとき転機は訪れた。

 働き始めて1年が経ったころ、あるイベントで飛ぶことになったのだ。まったくやっていなかったにも関わらず意外にしっかりと飛ぶことができて、「意外といけるもんやな」と感じた。現役時代とそれほど変わらない飛び込みができたのだ。

 北島から声をかけられたのはちょうどこのイベントの後だった。

「そのあと、しばらくして柔道の野村忠宏さんと話す機会があったんです。その時に五輪3連覇をした時になぜ辞めなかったのかを聞いたら、『辞める方が簡単だ』と言われたんです。『やり続ける方が試練もあって大変だけど、そのことで自分の柔道を追い求めていける』と。その言葉で30歳を越えてからやることの重荷がなくなった。自分と競技関係者との関係ではなく、間に誰も入る隙のない、自分と飛び込みだけの関係も作れるんだと知ったんです」

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