ラグビーの経験が生きている。
寺田明日香は2度目の陸上人生を楽しむ
寺田明日香インタビュー 後編 前編を読む>>
今シーズン陸上競技に復帰を果たした寺田明日香(パソナグループ)。前回に続き、23歳で引退してから、復帰までの6年間を振り返るとともに、今後の目標についても語ってもらった。
日本記録を更新し、世界陸上の切符も手に入れた寺田明日香 2013年の日本選手権で予選落ちしたあと、寺田明日香(パソナグループ)は北海道ハイテクACの中村宏之監督に、陸上をやめることを告げた。
その時、監督から言われたのは「逃げるのか?」という言葉だった。
「今になれば、あの時どういう気持ちで先生がその言葉を口にしたのか理解できるけど、その時は耐えられなくなっていた。選手ではないのにそのままハイテクに残って給料をもらうのもよくない」と、退社を選んだ。
その後は、結婚を機に拠点を北海道から東京に移した。そして、東京で寺田は新しい道を歩み始める。
「私は高校を卒業してハイテクに行くと決めた時に、陸上をやめたら大学へ行こうと決めていました。子供も欲しかったので、就職はせずにアルバイトをしながら受験の準備を始めました」
目標どおりに早稲田大学人間科学部eスクールに入学。その後妊娠し、それがきっかけで、子供に関して興味を持ち、卒論は子供の生活習慣がスポーツの能力や学業にどう影響するかということをテーマにした。
そして、ここから7人制ラグビーを本格的に始めることとなる。陸上を引退したころにも一度、先に陸上から7人制ラグビーに転向していた桑井亜乃に声を掛けもらっていたのだが、そのころはまだ転向を考える余裕はなかった。
「16年のリオ五輪が終わったあとに、砲丸投げの元日本記録保持者の山田壮太郎と会う機会があり、『スポーツを何かやりたい』と言うと、自分がトレーナーをしているラグビーチームを紹介され、『お前なら絶対に五輪へ行ける』と言われて、何もわからないまま練習生になりました」
その時47kgだった体重を60kgまで増やして取り組んだ。だが、17年5月には足首を脱臼骨折。翌年の4月に公式戦に復帰したが、ラグビーを続けるかどうか迷い始めた。
1 / 4