2019.09.18

朝原宣治と伊東浩司。
日本男子短距離界のパイオニアが開いた扉

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

 伊東はこの時のスタートを何も覚えていない。「60~70mでフレデリクスに抜かれてフッと我に返ったが、そこからはストライドは抑えがきかなくて、直線に入ってからも力んで顔が横を向いてしまった」。それでも追い風0.1mでタイムは2次予選より良い20秒45と、勝負する走りはできていた。全体では10番目のタイムだったが、もし追い風0.3mだった第1組に入っていれば、4位で決勝進出を果たせていた記録だった。

「夜、寝るころになって『決勝に残りたかったな。もったいなかったな』という気持ちになってきた。マイケル・ジョンソン(アメリカ)が19秒32の世界記録を出した決勝を見て、『あそこに自分もいたかったな』と。1次予選の走りを100%とするなら、準決勝は40~50%の出来。それでも20秒45で走れて4位と0秒13差だったから、1次予選のような走りができていれば決勝まで行けたと思う」

 朝原と伊東は、ともに1次予選と2次予選では余裕を持って走り、準決勝は黒人選手の中に唯一のアジア人としてスタートラインに立った。その姿は感動的だった。日本人でも短距離で戦える可能性を、彼らは見せてくれたのだ。

 アトランタ五輪で伊東は、予選を通過した4×400mリレーにも準決勝から出場。4走を務めた準決勝では、チーム内最速の44秒74のラップライムで3位になった。決勝は2走を44秒86で走り、日本史上最高の5位入賞。さらに、3分00秒76のタイムでアジア記録樹立にも貢献した。

 その後、98年アジア大会100mで10秒00のアジア新を出して、日本人9秒台への可能性へ前進すると、00年シドニー五輪では100mと200mで準決勝まで進出。4×100mリレーでも2走で6位入賞と、9日間で9本のレースを走る日本男子短距離の大黒柱役を果たした。

 朝原はアトランタ五輪の翌年に、10秒08の当時の日本記録に到達。だが、世界選手権では決勝進出を狙ったものの、太腿に違和感が出て実現できなかった。99年に足を痛めたあとは100mに専念し、シドニー五輪はリレーで出場。01年には自己記録の10秒02をマークした。その後は、末續慎吾とともに日本男子リレーの主軸となって、04年アテネ五輪と08年北京五輪に出場した。