【平成の名力士列伝:豪栄道】"万年三役"から大関への昇進、8度のカド番と難局を乗り越え続けた底知れぬ「大和魂」
息長く、粘り強い相撲人生を歩んだ豪栄道 Photo by Jiji Press
連載・平成の名力士列伝22:豪栄道
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、長い三役生活、大関としても8度のカド番を乗りきった豪栄道を紹介する。
【スロー昇進で大関へ】
関脇連続在位14場所は明治以降、史上単独1位。"大関級"の力がありながら、三役での連続2ケタ勝ち星が一度もなかった"万年三役"だった男に突然、大きなチャンスが降って沸いたのは、平成26(2014)年7月場所も大詰めを迎えたときだった。
前場所は千秋楽に辛うじて勝ち越しを決め、この場所前は大関取りの話題は皆無だったが、白鵬、鶴竜の2横綱を撃破し、優勝戦線に絡む活躍だったことから14日目になって審判部内で大関に推す声が急速に高まった。千秋楽の大関・琴奨菊戦に勝って12勝すれば、という条件をクリアし、直近3場所が12勝、8勝、12勝の32勝だったが、関脇での安定した実力ぶりが評価されて場所後、大関に推挙された。
埼玉栄高3年で高校横綱に輝くなど、高校通算11冠のタイトルを引っ提げて角界入りした際は期待の超新星として脚光を浴びたが、28歳3カ月での大関昇進は、年6場所制となった昭和33(1958)年以降では史上6位の高齢記録。新入幕から所要41場所も史上6位。新三役以来、所要34場所も史上5位のスロー昇進だった。
「これからも大和魂を貫いてまいります」
大関昇進伝達式では力強く口上を述べたが、大関になってからもいばらの道は続いた。
新大関場所は千秋楽にようやく勝ち越しを決めたが、翌11月場所は5勝10敗の大敗に沈んだ。大関昇進直前場所で左膝に負ったケガが尾を引いてのもので、大関3場所目の平成27(2015)年1月場所は早くもカド番となり、12日目に7敗目を喫して後がなくなったが、最後は3連勝で絶体絶命のピンチを切り抜けた。
安堵もつかの間、同年11月場所には2度目のカド番に立たされ、たちまち7勝7敗に追い込まれた。千秋楽は難敵の関脇栃煌山にもろ差しを許し、一気に土俵際まで攻め込まれ、もはやこれまでと思われたが、捨て身の首投げが決まって九死に一生を得て、カド番を脱出した。
その後も古傷の右手首痛の再発、右太ももの肉離れ、白鵬戦で負った左目眼窩内壁骨折など、相次ぐケガに泣かされ続け、大関として2桁勝ち星を挙げられずにいた。それでも豪栄道から言い訳じみた発言は、一度も聞いたことがない。
「痛みは口に出す必要がないし、結果が出ないのをケガのせいにするのが一番カッコ悪い」
関脇時代には左脇に大きなテーピングを施して土俵に上がっていたが「虫刺されです」と言い張ったこともある。実際は肋軟骨骨折で、息が上がるだけでも相当痛かったはずである。
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著者プロフィール
荒井太郎 (あらい・たろう)
1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。