世界のフェンシング史に「日本」の名を刻んだ東京オリンピック男子エペ団体の金メダル獲得 パリオリンピックにつながる確かな礎に
金メダルが決定した瞬間、喜びを分かち合う日本代表の選手たち photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る
新型コロナウイルス感染拡大の影響で1年延期となり、2021年夏に行なわれた第32回オリンピック競技大会・東京2020。無観客という異空間での開催となるなか、自分自身のために戦い抜いたアスリートたちの勇姿を振り返る。
今回は、強化の末に金メダルに辿りついたフェンシング男子エペ団体を紹介する。
PLAYBACK! オリンピック名勝負――蘇る記憶 第50回
【開催国枠出場のあやが味方に】
2008年北京五輪は男子フルーレ個人で太田雄貴が銀メダルを獲得、2012年ロンドン五輪は太田中心の男子フルーレ団体が銀メダルを獲得と歴史を切り開いてきた日本フェンシング界。その後、男子フルーレ以外の種目でも外国人コーチを招聘するなど、全体的な強化を推進。その努力の結実が2021年東京五輪での男子エペ団体の金メダル獲得だった。
予兆は以前からあった。2018~19年は2016年リオデジャネイロ五輪で6位になった見延和靖(ネクサス)が世界ランキング1位になり、19~20年はリオ五輪では見延の練習パートナーとして帯同した山田優(自衛隊体育学校)が同2位に。さらに団体も無条件で出場権が取れる国別ランキング4位になり、東京五輪本番への期待を膨らませていた。
だが新型コロナ感染拡大で五輪が1年の開催延期。五輪出場権が決まる段階では日本は8位にランキングを落とし、各大陸一番手が得られる大陸枠の出場権も逃し、開催国枠での出場となった。
しかし、それが幸いした。
出場国が8カ国なら組み合わせはランキング順のシードになるため、日本は準決勝でランキング上位の国と戦わなければならなかった。だが、日本は開催国枠での出場となったため、出場国は全9カ国に。そのうえ世界ランキング8位の日本は、大陸枠での出場となった同10位のアメリカと戦い、そのあとで強豪フランスと戦う巡り合わせとなった。
しかも初戦が厳しい戦いになったからこそ、大きくプラスに働いた。
団体戦は1ピリオド3分で、5点まで獲得でき(2ピリオド以降はピリオド合計の最大得点まで)、3選手が相手を替えて3回ずつ戦う試合。初戦の対アメリカは中盤まで様子を見合うロースコアの展開になり、見延が2回目の第6ピリオド終了時点では16対23と、7点差をつけられる劣勢の展開になった。
通常なら逆転は難しい状況のなか、個人戦6位の山田が第7ピリオドで1点挽回したあと、ゴルバチュク・オレクサンドルコーチは次に戦う予定だった個人戦10位の見延に替え、リザーブの宇山賢(三菱電機)を起用する決断をした。
山田はこの宇山起用について、こう振り返る。
「アメリカの3選手はメンタルが強く、乗ったらガーンといってしまうタイプなので、試合前から怖さを感じていました。だから7点差までつけられた時は、どうすればいいのかわからなくなって。それを立て直すにはリザーブの宇山先輩の投入しかないなと思っていましたので、実際にそれを実行したサーシャ(ゴルバチュクコーチ)のいい戦略だったと思います」
団体戦では選手変更は一度だけしかできず、見延はその後の試合に出場できなくなる。勝負の切り札を、最初の試合で切ったのだ。
代えられた見延だったが、その決定には納得していた。むしろ団体戦への思いは、人一倍強かったという。
「初戦で大きな賭けに出たと思うが、そのシチュエーションは前日夜のミーティングでも話していたので、僕も納得していました。前回のリオ大会は僕が個人戦に出場しただけだったので、すごく悔しい思いをした。あの時に『東京五輪は、絶対に団体戦で出て、絶対にメダルを獲るんだ』と強く思っていたので、僕自身もベンチで一緒に戦っていました」
宇山は、3連続を含む7点を奪い29対31まで差を詰めた。
「僕が出るなら負けている時しかないし、アメリカ戦で使われるなら終盤の3回目の回りだろうと予想していました。ケガで試合のブランクがあったので不安はあったが、相手がやりにくそうにしているので、自分のフェンシングは間違いないと思いました」
宇山のパフォーマンスで「気持ちに火がついた」と話す最後の加納虹輝(日本航空)は、個人戦24位のクルティス・マクドワルドから一気に5ポイントを連取して逆転。そこからじわじわと差を広げ、16ポイントを奪って45対39で勝利をもぎ取ったのである。
1 / 3
著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。