世界のフェンシング史に「日本」の名を刻んだ東京オリンピック男子エペ団体の金メダル獲得 パリオリンピックにつながる確かな礎に (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【世界王者・フランスを撃破、そして頂点へ】

 迎えた準々決勝、相手は世界ランキング1位で2004年アテネ五輪から連覇中(2012年ロンドン五輪は実施なしで3連覇中)のフランス。日本は、苦しい1回戦を逆転勝ちした勢いそのままに、最高の状態で強敵に挑んだ。

 山田は前の試合で足を打撲した影響もあり3対5とリードされるスタートになったが、フランスは初戦の緊張からか、優位に進めながらも3点以上は突き放せない展開が続いた。対する日本も加納の2回目にあたる第6ピリオドで27対27の同点に追いついたが、次の宇山で2点差をつけられてしまう。だが第8ピリオドの山田は3点ずつを取り合い36対38になった段階で点差を考え、無理に点を取らない作戦を選んだ。

 エペは3種目のうちで唯一相打ちある種目(0.04秒以内の同時突きの場合、両者同時に得点が認められる)。試合は第9ピリオドまででどちらか先に45点を取れば試合終了になるが、45点近くなればリードしているほうが相打ちを狙う作戦を取れる。日本は前の試合(第6ピリオド)で5対2と勢いをつけた加納が最終第9ピリオドで自由に戦えるようにと、そこから守りを固めてその点差で引き継いだ。

「フランスに対しては僕たちもいいイメージを持っていたし、点差も開かなかったのでいつでも逆転はできると思っていた」と話す加納は、互いに点を取り合う展開で42対44と追い込まれた。だがそこから2点を連取し、44対44の一本勝負に持ち込み、そして最後に競り勝った。45対44、日本が金星を挙げた。

「フランスは世界ランキング1位で、国技がフェンシングと言って恥じないような選手が多く、強い選手を多く輩出している国です。これまでのオリンピックでも『フランスを倒さなければ金を獲れない』とどの国の選手も言うように、エペ団体は本当に強い。だから、そのフランスに勝った瞬間、『これはちょっといけるな』と思いました。フランスを倒せば、あとはそんなに怖い国はいないので」

 準決勝以降の日本は、そんな宇山の言葉どおりの戦いになった。次の韓国戦は3人のひと回り目が終わった時点で11対1と圧倒するなど、45対38で勝利。

 決勝のロシア戦はコーチのミスで3番目の予定だった山田が最初に戦うことになったが、冷静に対処して5対4でつなぐと加納が3点差に広げて流れを作り、そのまま主導権を維持。「相手の選手にはこれまで個人戦で3回やって3回とも負けていたが、けっこう競っていたので『次は勝てる』といつも思っていたし、苦手意識もなかった」と話す加納は、37対33から8ポイントを連取し、試合時間を1分22秒余して45対36で優勝を決めた。

 山田は決勝後、日本の戦いぶりをこう振り返った。

「オーダーが予定どおりだったら違う流れになっていた可能性もあるので、今回は偶然の要素もあった優勝。正直、自分たちの実力100%という感じではなかったですね。

 ただ、最後の試合はリードしても見合ってロースコアにすることなく、みんなが勝負していた。あれが本来の僕らのフェンシングだと思うので、それをしっかり自分たちのものにしていけば、次のパリ五輪で金メダルというのも夢ではないと思います」

 見延は、日本の強さを改めて実感していた。

「日本の一番の強さはなんといっても、フットワークの力だと思う。世界最高のフットワーク能力にサーシャコーチが伝授した技術がうまくミックスし、日本独自のエペの技術を確立できたことが、今回の勝利を導いた要因だと思います」

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