フェンシング・江村美咲が味わった東京五輪の挫折「これ以上何を伸ばせるんだろう」。燃え尽き症候群を乗り越えパリ五輪金メダルへ

  • 門脇正法●取材・文 text by Kadowaki Masanori
  • 吉楽洋平●撮影 photo by Kichiraku Yohei

江村美咲(フェンシング女子サーブル)
インタビュー後編(全2回)

2022年7月に世界選手権女子サーブル個人で日本女子フェンシング史上初の金メダルを獲得した江村美咲(立飛ホールディングス)。日本女子初の世界ランキング1位(2023年2月13日現在)になり、歴史をさらに塗り替えた。

東京大会に続く2度目の五輪となる2024年パリ大会で金メダル候補に名前が挙がる江村のもとを訪ね、これまでとこれからを聞いた。後編では、東京五輪後の進化やパリ五輪に向けた思いを語るーー。

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【東京五輪は「思っていたのと少し違った」】

ーー大学在学中の2020年3月、東京五輪代表に選出された時、元フェンシング選手の両親の反応はいかがでしたか?(父・宏二さんは1988年ソウル五輪フルーレ日本代表、母・孝枝さんは元エペ世界選手権日本代表)

江村美咲(以下、同) 私の家族はわりと静かなんです(笑)。世間的によくイメージされるアスリートの家族とは少し違って、感情表現もあまり強くしないタイプで。

 それでも(開催国枠ではなく)自力で出場権を獲得できたことに「うれしい」「よかったね」と言ってくれました。

ーー大学卒業後、2021年3月に日本フェンシング界初となる「プロ宣言」をしました。プロ転向したのは、どうしてだったんですか?

 大学卒業後に、企業に就職して競技を続けるのか、プロになって続けるのか、どっちがいいか考えました。

 そうしたなかで、プロになろうと決めた理由がふたつあります。ひとつが東京五輪に本当は大学4年時に出場するはずだったのに、1年間延期になって、卒業後の開催になってしまったことです。

 そうなると、これまで数社のスポンサーに応援していただいてきたのに、特定の企業に就職すると、恩返しができない、何も返せないと思いました。

 もうひとつは、大学決める時と一緒で、フェンシングでプロになるというのは、日本で他に誰もやってないから、自分がやってみたかった。挑戦したかったんです。

この記事に関連する写真を見るーーそうして迎えた五輪の舞台。女子サーブル個人では3回戦敗退、女子サーブル団体では5位入賞を果たしました。初の五輪を振り返るとどうでしたか?

 東京五輪を迎えるにあたって、自分のエネルギーがどんどん、どんどん溢れてきて自分でも驚いたんですけど、いざ戦ってみるとちょっと思っていたのと違いました。やっぱり、(コロナ禍で)観客がいなかったので、「これが五輪なのか」と思ったのが正直な感想です。

 コロナが流行する前に2回、国際大会でメダルを獲っていたんですが、まだ全然安定感がなくて、現実的に考えて東京五輪でメダルが獲れるような実力ではなかったのも事実です。

 もちろん、コロナ禍でしばらく試合がないなかでも、その間、本当にできることは全部やったし、やり残したことは何もないというくらい毎日とことん練習して準備してきたというのも事実でしたけど。

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著者プロフィール

  • 門脇正法

    門脇正法 (かどわき・まさのり)

    マンガ原作者、スポーツライター。1967年、埼玉県生まれ。日本女子体育大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了。アニメ『ドラゴンボールZ』の脚本家である小山高生氏からシナリオを学び、マンガ原作者デビュー。特にスポーツアスリートの実録マンガを得意としており、『世界再戦ー松坂大輔物語ー』(集英社/少年ジャンプ)、『好敵手ー室伏広治物語ー』(同)、『闘球「元」日本代表ー福岡堅樹物語ー』(集英社/ヤングジャンプ)の原作を担当。現在はマンガの原作だけでなく、「少年ジャンプ」のスポーツ記事特集『ジャンスタ』を中心に、『webスポルティーバ』の「文武両道の裏側」など、スポーツライターとしても活躍中。著書に『バクマン。勝利学』『少年ジャンプ勝利学』(ともに集英社インターナショナル)などがある。

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