目標を失い、引退の不安もあった白鵬がモチベーションを回復したわけ (2ページ目)

  • 武田葉月●構成 text&photo by Takeda Hazuki

 何としても勝ちたい、という気持ちが強すぎたんでしょうね。結果、この一番の代償は、かなり大きなものになってしまいました。

 元号が「令和」に変わって、初めての本場所となる夏場所(5月場所)。私は、休場という決断を下しました。

 平成から令和にかけての、ふたつの時代にわたって優勝を成し遂げる――というのは、私の夢のひとつでもありました。

 また、この場所では、私の内弟子にあたる炎鵬が新入幕を果たしたことで、横綱土俵入りが初めて自前でできる状況が整っていたのです(露払いの石浦、太刀持ちの炎鵬)。2人の内弟子たちのがんばりには頭が下がる思いですし、長年の夢だった自前での土俵入りも実現したかったのですが、私は治療に専念することを選択しました。

 それだけ状態がよくなかった、ということもありますが、ここで無理をして、この先にある大きな夢の実現をふいにしたくない思いもありました。

 6月に入ると、治療の効果があって、私の上腕は徐々に回復。力士を相手にした稽古も再開することができるようになりました。

 6月と言うと、私が所属する宮城野部屋では毎年、滋賀県長浜市で合宿を張ります。力士各々が稽古に励みますが、相撲をかじっている私の長男も参加したりして、例年は和気あいあいとしたムードのなかで行なわれます。

 でも昨年は、どうしてもやり遂げたい"ミッション"があって、例年とは違って、ピリッとした雰囲気にあったかもしれません。その"ミッション"とは、炎鵬を鍛えることです。

 2017年春場所、初土俵を踏んだ炎鵬。体重100kgに満たない体で奮闘し、わずか2年で幕内力士になりました。新入幕となった合宿前の夏場所では、6日目を終えて5勝1敗と、"小兵旋風"を巻き起こして、脚光を浴びました。

 けれども、後半戦に入ると、軽量のために息切れ。10日目から6連敗を喫して、まさかの負け越しという結果に終わってしまったのです。本人は、相当悔しかったと思います。

 千秋楽の取組を終えて部屋に戻ってきた炎鵬に対して、私はこう激を飛ばしました。

「幕内の土俵は甘くないだろ? 来場所で勝ち越すために、一緒に死ぬ気でがんばろう。もしおまえが負け越したら、オレは引退するから」

 最後のひと言は、炎鵬に、あえてかけたプレッシャーでした。

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