目標を失い、引退の不安もあった白鵬がモチベーションを回復したわけ (3ページ目)

  • 武田葉月●構成 text&photo by Takeda Hazuki

 そうして臨んだ長浜合宿。私は合宿初日から、炎鵬にガンガン稽古をつけました。炎鵬は泥だらけになりながらも、力を振り絞って立ち上がり、私に何度も、何度も向かってきます。幕内最軽量の炎鵬ですが、ガッツという点では、幕内トップクラスではないでしょうか。

 そんな厳しい合宿を経て、挑んだ名古屋場所(7月場所)。炎鵬は、14日目に見事勝ち越しを決めました。私も復帰場所で12勝を挙げて、まずまずの成績を収めることができました。

 一方、この名古屋場所では、実は少し寂しい出来事もありました。同場所を最後にして、私の大銀杏を長年結ってくださっていた床山の床蜂さんが、定年を迎えたのです。

 横綱・北の湖関をはじめ、名力士の髷を結い続けてきた床蜂さんとは、何でも話し合える仲でした。数年前くらいから、床蜂さんとは「オレの定年と横綱の引退、どっちが先かなぁ......」なんて話もしていたんですが、正直言って「私の引退のほうが先になるんじゃないか」と、不安になることもありましたね。

 しかし、先にもチラッと触れましたが、私には大きな夢が新たに芽生えました。その実現に向けて、ここまで踏ん張ってきました。その夢とは、2020年の東京オリンピックを現役力士として迎える、ということです。

 2年前に亡くなった私の父(ジグジドゥ・ムンフバト氏。レスリングの五輪メダリストで、モンゴル相撲の横綱)は、1964年の東京オリンピックにレスリングのモンゴル代表として出場しています。それから50年以上の時を経て、息子の私が日本で、しかも横綱として東京オリンピックを迎える――これこそ、まさしく奇跡だな、と思っています。

 私はこれまで、優勝回数、連勝記録、通算勝ち星数など、その時々で目標を掲げ、それに向かって精進してきました。そして、大きな目標のひとつであった、尊敬する大鵬関が持つ最多優勝記録(32回)を更新。さらに、私の父はモンゴル相撲で6年間頂点に立っていて、年間6場所ある大相撲で言えば、優勝36回に相当すると踏んで、その数字を新たな目標に定めてきましたが、それも達成すると、目標を失ってしまったような気持ちに陥ってしまいました。

 それが、東京オリピックを現役横綱として迎えるという、新たな目標を持つことで、私のモチベーションは再び息を吹き返したのです。

(つづく)

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