小平奈緒の平昌五輪金メダルの裏にあった、「コーチの心配性」 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by JMPA

 仮に負けて銀や銅でも、その悔しさをうまくコントロールすればプラスになるなというのがありました。複数種目メダルを狙えるようになれば、五輪で戦うえでもかなり有利になると思いました」

 結城は、小平が1000m1分12秒09の世界記録を樹立した、昨年12月のW杯ソルトレーク大会が、五輪シーズンで最もメンタルを試された時ではなかったかと振り返る。これだけ好調なシーズンはもうないかもしれないと思うほどの状態で、カルガリー、ソルトレークシティという高速リンクでの連戦は、彼女が世界記録を出す唯一の機会でもあった。

「正直、横から見ていて五輪シーズンの小平が唯一『硬くなっている』と感じたのは、あのシリーズでした。カルガリーの初戦だった1000mでは転倒してしまい、翌日の500mも影響が出ました。

 次のソルトレークシティは天候がよく、気圧が高くなったことで、記録が出にくい条件でした。結果、500mは高速リンクながらタイムは納得のいかないものになりました。その時点で最終日の1000mしか残っていなかったので、『世界記録更新を逃した』という雰囲気でした。

 でもそこから彼女の底力が発揮されたと思います。あの1000mは実際、小平にとっては五輪の500mよりプレッシャーがあったと思います。そのシーズンに世界記録を出すラストチャンスだったし、あの時は本当に彼女だけが見えない敵と戦っているような感じでした。そこでしっかり目標を達成できたのは、本当に大きな自信になったと思います」

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