千代の富士からの伝言「なぜ出稽古で強い力士の胸を借りないのか」 (2ページ目)

  • 福留崇広●文 text by Fukutome Takahiro
  • photo by Kyodo News

「負ければ、不安なんだよ。もう勝てないんじゃないかと思うぐらい追いつめられるんだよ。あの時もそうだった。これから先、オレはどうなるんだろうって考えたよ」

「負けた夜は食事に行っても気持ちはうわの空で、明日、勝てるのか。オレはこのまま終わってしまうんだろうか。そんなことばっかり頭の中をグルグル回ってるんだよ」

 威風堂々の土俵での立ち姿。必殺の左前まわしを引けば、鮮やかな攻め手で相手を投げ飛ばす。そんな強烈な記憶と通算勝ち星1045勝という偉大な記録からは、かけ離れた「不安」の二文字。だが、この恐れこそ千代の富士を支えた源だったのだ。

 そして、親方は続けた。

「だから、やるんだよ。何をって。稽古に決まってるだろ。やるしかないんだよ。不安を消すには稽古しかない。稽古して自分を追い込んで納得するまでやる。そうすると、ここまでやったんだから負けるはずがないって、自分の中で思えるようになる。そこまで追い込まないと土俵には上がれない」

 言葉には説得力があった。稽古こそウルフの歴史そのものだからだ。

 北海道・松前郡福島町出身。15歳で同郷の横綱・千代の山の九重親方から「飛行機に乗せてあげる」の言葉に誘われて上京した。1970年秋の初土俵から類まれな運動神経はあったが、178cm、71kgの細身の体では圧力負けしてしまう。小柄な体は悲鳴を上げた。左肩の脱臼に幾度も悩まされたのだ。

 新十両が見えてきた幕下15枚目で迎えた74年春には右肩も脱臼してしまう。絶望と不安の中に叩き落とされた時、実行したのはやはり稽古だった。「脱臼を直すには肩に筋肉をつけるしかない」と1日1000回の腕立て伏せを自らに課し、筋肉の鎧(よろい)でケガを防いだ。

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