ムエタイの頂点から吉成名高が描く未来 「ワクワクするものを求め続ける」
吉成名高インタビュー・後編(全3回)
ムエタイ界の至宝・吉成名高がONE初参戦 © Yuko YASUKAWA/集英社この記事に関連する写真を見る
ムエタイで"日本人初""タイ人以外初"という数々の偉業を成し遂げて来た吉成名高。目下35連勝中と連勝街道をばく進しているが、その道のりは決して順風満帆だったわけではない。タイでのはじめての試合で味わった敗北、そこから学び、ファイトスタイルを進化してきた。そして、今、ONEという新たなステージに立つ。
だが、彼の目標はONEの舞台で終わりではない。常に進化を求める吉成は、その先に何を見据えているのか? ムエタイの枠を超える可能性、そして未来のビジョンについて話を聞いた。
【ムエタイとの出会いと転機】
――元々は空手少年ですよね。
吉成(以下同)「4歳から始めました」
――空手からキックボクシングに転向して活躍している選手は多いですが、吉成選手はなぜムエタイを選んだのでしょうか?
「僕も最初はキックボクシングをやっていました。地元のキックボクシングのサークルに通っていたんです。アマチュアの大会にも出ていましたし、その頃は深く考えずにキックだったらK-1に出ることになるのかな、と思っていました。ただ、キックにどんどんのめり込んでいくなかで、サークルは練習が週3日だったので、もっと本格的にやりたくなり、毎日開いているエイワスポーツジムに通うようになったんです。そこには、いまも教えてもらっているタイ人のクン先生はじめタイ人のコーチがいて、教わる技術もムエタイが中心でした」
――最初は、キックのレベルアップの為にムエタイの練習をされたんですね。
「そうですね。そうして試合に勝てるようになってきた頃、(エイワスポーツジムの)中川会長から『本場タイで試合をしてみないか』という話をいただいて。小学校6年生の時、タイではじめて試合をしました。タイで生のムエタイに触れたことが、自分の格闘技人生、そして人生のターニングポイントになりました」
――初めてのタイでの試合はいかがでしたか?
「小学6年生の時に、キックではじめてジュニアのチャンピオンになって、その4カ月後にタイで試合だったんです。日本では、キックで実力を証明できていたので、タイでの試合も正直、『勢いで行けば勝てるんじゃないか』と思っていました。でも、いざ始まってみると、前蹴り、ミドル、組んでからのヒザや崩しで何もさせてもらえませんでした。3~4ラウンド目にはすでに勝負が決まってしまったような試合でしたが、なんとか5ラウンド最後まで戦い抜くことはできました」
――本場のムエタイの強さを肌で感じたわけですね。
「蹴りが本当に強くて痛かったですし、はじめて試合中に『やばい、やばい...』と思いながら戦っていました」
――その試合は、ヘッドギアや脛当てもなしですか?
「そうですね。インターバル2分、5ラウンド、肘あり、プロのムエタイルールで戦いました。タイでは、5歳から脛あてなしで試合をしていますから」
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著者プロフィール
篠﨑貴浩 (しのざき・たかひろ)
フリーライター。栃木県出身。大学卒業後、放送作家としてテレビ・ラジオの制作に携わる。『山本"KID"徳郁 HEART HIT RADIO』(ニッポン放送)『FIGHTING RADIO RIZIN!!』(NACK5)ウェブでは格闘技を中心に執筆中。レフェリーライセンス取得。ボクシング世界王者のYouTube制作も。