2016.08.09

金メダル・大野将平が貫き通した強くて美しい「日本柔道」の誇り

  • 柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji
  • photo by JMPA

 盤石だった。圧巻の戦いぶりだった。初戦(2回戦)を横四方固めで勝ち上がると、3回戦はUAEの選手を内股「一本」で投げ飛ばす。優勝を争う対抗馬と目されていた安昌林(アン・チャンリム/韓国)が2回戦で消えたことも気を楽にしたかもしれない。準々決勝ではジョージアのラシャ・シャフダトゥアシビリを払い腰「技あり」で片付けた。

 技のバリエーションが豊富で、体幹が強いために受けも強い。準決勝のアンティシェル戦では巴投げで「技あり」を奪い、続いて繰り出した背負い投げは勢い余って「有効」止まり、最後は再び巴投げで「一本」に仕留めた。一瞬の隙も、心の動揺もなく、危なげなく決勝に進出した。

「今年は"圧倒的な差"を目標に掲げてやってきた。積み重ねてきたものを五輪で出すだけでした」

 山口に生まれ、2歳上の兄・哲也氏の影響で5歳から柔道を始めた。小学校を卒業すると兄を追って上京し、同じ弦巻中学・世田谷学園高校で柔道漬けの日々を送った。その間、大野を指導した柔道私塾・講道学舎の持田治也氏は「あの経緯を考えたら、今日の日があることが奇跡に近い。よくぞここまで来た、という思いだけです」と話した。

「あの経緯」とは、天理大学4年だった2013年に、当時の柔道部の4年生が1年生十数名に暴力を振るった体罰問題である。主将を務めていた大野は、全日本柔道連盟からは強化指定選手を外され、学校からは主将を剥奪されて停学処分となり、学校のある天理市では柔道ができない日々が続いた。持田氏が続ける。

「あの時期、天理には居場所がなくて、彼は生まれ故郷の実家に一時帰省した。出身の道場に足を運び、子どもたちに柔道の稽古をつけた。その経験が大野を成長させた。2年後のリオ五輪に出て、柔道家として全力を尽くし、完全燃焼する姿を、子どもたちに見せたいという気持ちが芽生えたと思います」