水谷隼は「日本の卓球を変えたい」。夢が結実した五輪の銀メダル (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

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 ロンドン大会後には、ラケットのラバー裏側に違法な補助剤を塗布する行為について問題提起するなどアスリートとして競技の公平性を訴えるなど、広い視野を持って行動するようになった。さらに、卓球を始めた時からの夢でもあるメダル獲得を目指した3度目の五輪へ向け、前年の秋からは用具も変更した。水谷はこう説明していた。

「守備的なプレーが多いことが勝てなかった原因だと考え、用具も変えて少し前陣で戦う攻撃性を意識しました。それでも15年終わりには格下に負けて結果を残せない時期がありましたが、じっくり取り組んでみようと思って。このままじゃダメだというのはずっと感じながらもなかなかふん切りがつかなかったが、15年世界選手権で中国選手に負けて、開き直ることができました」

 世界ランキング6位、第4シードで臨んだリオデジャネイロ五輪の個人戦。3回戦から登場した水谷は、初戦を4ー1で勝つと、4回戦と準々決勝は4ー2で勝ち上がった。だが、水谷が大会前に「世界ランキング4位までの中国選手は別格」と話した中国の壁はやはり厚かった。準決勝の相手は、世界ランキング1位の馬龍(まりゅう)。第1ゲームから第3ゲームまでを取られ、完敗かと思われた。

「3ゲームまでは、相手のボールをゆっくり返していたが、4ゲーム目は馬龍が打ってきたボールを山なりに返してカウンターを撃たせた。それを直線的に打つようにしてから、相手のボールが入らなくなってチャンスが生まれていた」

 水谷がそう話すように、第4ゲームは最初から順調にポイントを重ねて11対7で取った。さらに、第5ゲームは3対7から追いつき、12対11で奪って意地を見せた。

「4ゲーム目からは吹っ切れて、『負けてもいいや』と思ってやっていたことでゲームを取れたと思います。ラリーの強さでは相手のほうが一枚上だけど、4ゲームと5ゲームを取れたことで、自分の力は出し切れたと感じています」

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