アロンソ「GP2!」発言の真相。復帰1年目のホンダは駆け引きの術を知らなかった (3ページ目)
パワーユニットとしては、まだまだ合格点と言えるレベルではなかった。しかし、ライバルメーカーが5〜6年かけて基礎研究をしたうえで1年間の実戦を経てきたのに対し、ホンダはわずか2年間で開発し、開発制限に縛られたなかで可能なかぎりの進歩を見せていたことも、また確かだった。
序盤5周目にトロロッソのカルロス・サインツ、そして6周目にザウバーのマーカス・エリクソンに抜かれたところで、アロンソは「GP2のように抜かれている。恥ずかしい、とても恥ずかしいよ」と訴えた。そこから20周後にフェルスタッペンに抜かれて「GP2エンジン」発言。実は、鈴鹿でアロンソが抜かれたのはこの3回だけだ。
自分の腕ではどうすることもできない、ストレートで抜かれることへのフラストレーションはよくわかる。しかし、ディプロイが切れていない状態ではルノーと同等の性能を発揮し、ディプロイ切れがホンダの力だけではどうすることもできないことも、アロンソはよくわかっていたはずだ。それだけに、アロンソの発言は物議を醸すことになった。
その一方で、マクラーレンの車体MP4-30も決して傑出した性能を持っていたわけでもなかった。
空力性能を最大化するためのサイズゼロコンセプトだったはずだが、思ったほどのダウンフォースは発生させられず、ドラッグだけが過多だった。レッドブルから空力責任者ピーター・プロドロモウを獲得してレッドブル風のハイレーキマシンに刷新されたが、劇的に空力コンセプトを変更したことで従来のデータが生かせず、開発にもセットアップにも苦労していた。
クラッシュテストを通過できず、ショートノーズの導入が第8戦まで遅れたことからも、当時の混乱ぶりがわかる。パワーユニットの差がほとんどないはずのレッドブルと比べても、鈴鹿の予選で1.3秒の差をつけられた。トロロッソとの差は0.3秒だ。
ハンガリーGPでは、アロンソが予選中にマシンを止めて必死にピットレーンまで押すという場面がファンの心を打った。
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