フィリーズレビューで思い出す、
地方馬ライデンリーダーの「凄い脚」

  • 新山藍朗●文 text by Niiyama Airo
  • photo by Kyodo News

「胸のすく切れ味」とは、きっとこういう弾け方のことを言うのだろう。

 さしずめ「鬼脚」。いや彼女はオンナの子だから「鬼姫の脚」か。

 とにかく、あまりにも鮮やかすぎるその末脚は、驚愕、驚嘆を通り越して感動的ですらあった。

 まさに衝撃。背筋がゾクッとした。

 それが1995年の春、ライデンリーダーを見たときに感じたことだった。

地方馬ながら中央のGIの舞台で奮闘したライデンリーダー地方馬ながら中央のGIの舞台で奮闘したライデンリーダー この年は、それまで地方競馬に対して高いハードルを設けていたJRAが、そのハードルを下げる方向に大きく舵を切った年。競馬界では、地方と中央の「交流元年」として記憶される。

 そのひとつの目玉となったルール変更が、JRAが指定したトライアルレースで優先出走権を獲得すれば、地方馬は地方所属のままJRAのGIレースに出られるようになったこと。それまでは、ハイセイコーにしても、オグリキャップにしても、JRAのGⅠに出るためには、まず地方から中央に移籍しなければならなかった。

 この節目の年に、その象徴的な存在として競馬シーンに登場したのがライデンリーダーだった。

 公営・笠松競馬の所属。デビュー以来、10戦10勝。この間、2着馬につけた着差が合計で41馬身。いつもぶっちぎって勝つことから、牝馬ながらも「公営のナリタブライアン」などと呼ばれた。

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