【競馬】ディープブリランテの母は「美人だった」 (3ページ目)
ハブルバブルを生んだその年の春、ラヴアンドバブルズは再びディープインパクトと種付けを行なった。無事に受胎が確認され、翌2009年の5月、ラヴアンドバブルズは出産の気配を見せ始めていた。このとき、お腹にいたのが、のちのディープブリランテである。
例年、パカパカファームでは繁殖牝馬の出産に備え、1月頃から主要スタッフが24時間体制で牧場に常駐する。夜間に繁殖牝馬が出産を迎えた場合は、常駐するスタッフのみで対応するが、ラヴアンドバブルズの出産に関しては、スウィーニィ氏にとっても特別だった。「(ラヴアンドバブルズの)出産が近づいたら、夜中でもいいから連絡してほしい」と、スタッフに伝えるほどだったのだ。
そして5月8日の深夜2時、スウィーニィ氏の電話が鳴った。連絡を入れたのは、繁殖牝馬の出産を統括するフォーリングマネージャーの伊藤貴弘氏だった。
実は彼こそ、ディープブリランテを語るうえで、さらにはパカパカファームの歴史を語るうえで欠かせない人物だった。というのも、彼はパカパカファームの開場時を知る唯一のスタッフであり、スウィーニィ氏が「グッドホースマン」と信頼する人物なのである。次回は、そんな伊藤氏が語るディープブリランテの出産秘話を紹介する。
(つづく)
ハリー・スウィーニィ
1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。
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