「平成のヒロイン」宮里藍の優しさが、日本のゴルフ界を劇的に変えた (2ページ目)

  • 古屋雅章●文 text by Furuya Masaaki
  • photo by Kyodo News

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 すると、どこからか「藍ちゃ~ん、がんばってぇ~」という子どもの声が聞こえ、宮里藍がそっちのほうに顔を向けた。それを見た、3人親子の母親は「ほらぁ、藍ちゃん、優しいでしょ」と、あらためて娘に言った。それに対して、娘は何も言わなかったが、次、同じような機会が巡ってきたら、声を出せるかもしれない。勇気を出して声を出せば、"藍ちゃんは応えてくれる"と知ったからだ。

 この日、宮里藍は「藍ちゃん、がんばってぇ~」という子どもたちの声に反応し、「藍ちゃん、がんばれ!」という大人たちの声援には帽子のツバに手を添えて応え続けた。その姿を見て、他の子どもたちも、そして大人たちも、勇気をもって大きな声で声援を投げかけることができた。

 戸塚CCに来たファンの多くが、プレー以外の何かに心を動かされたのだとしたら、それは宮里藍のこういった姿だったと思う。それまで、声をかけても無視されて、なんだか窮屈だった日本のゴルフ観戦に風穴を開けた日――それがこの、宮里藍が優勝した日本女子オープンの最終日だった。

 翌2006年(平成18年)、宮里藍はプロ入り3年という異例の早さで米女子ツアーにチャレンジする。3年間は結果を出せなかったが、2009年(平成21年)にエビアンマスターズでついに米ツアー初優勝を飾って、翌2010年(平成22年)には、日本人として初めてワールドランキング1位まで上り詰めた。

 2005年(平成17年)のあの日、戸塚CCにはゴルフの試合には珍しく子ども連れのギャラリーが多かった。両親は、自分の子どもたちに"藍ちゃん"を見せたかったのだろう。

 その子どもたちの中には、平成10年、11年生まれで、当時小学校の低学年でゴルフを始めたばかりの子もたくさんいただろう。彼女たちは、宮里藍がフェアウェーを颯爽と歩く姿を見て、「自分もああなりたい」と思って、のちにプロとなった子もいるに違いない。

 それが、これからの令和の時代の主役となっていくであろう、畑岡奈紗、勝みなみ、新垣比菜、小祝さくら、原英莉花、三浦桃香、河本結、吉本ひかる、渋野日向子ら『黄金世代』だ。2005年(平成17年)の日本女子オープンは、そんな時代を画する試合でもあったのである。

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