《独占》岡崎慎司が語っていた「引退」 自身の引き際は「ヨーロッパでボロボロになるまで...これがボロボロっていうことか」
岡崎慎司インタビュー(中編)
◆岡崎慎司・前編>>「仮に日本に帰るってなったら、清水エスパルス一択」
岡崎慎司の突然の引退発表に、サッカーファンは激しく動揺した。ただ、岡崎本人にとってこの決断は、決して「突然」ではなかったとも思える。今になって振り返れば、引退を発表する直前に行なわれたインタビューの言葉からは、彼のさまざまな想いを感じることもできた。
確実に忍び寄る引退を感じながら先のことを考え、その一方で、まだ選手としてもやれるのでは......と、岡崎は揺れていた。シーズン半ばでの引退発表には、そんな自分を奮い立たせる意図があるのではないか。取材中、プレーをするうえでの感覚について話が及ぶと、岡崎が長く苦悩していることがリアルにうかがえた。
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岡崎慎司は引退を決断するまでに何を考えたのか photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る── 昔と今とでは、プレーでの変化を感じていますか?
「ケガをしたことで、プレーも変わってきた。昔は難しいコンディションだと思っても、チームの助けになるって思ったら走っていた。それが持ち味だったからこそ、ここまでこられたとも思うんですけど、今は走るのをやめて足もとで受けることが多くなったりしています。
昔は『自分がここに走ったら、絶対にゴールは取れる』というプレーを100本中100本できていたけど、今は『どうせ走ってもボールが来ないだろうな』って思ったり......。そこは衰えなのか、年齢的に少しずつできなくなっていっているのか、わからないですけど」
── ベテランのプレーになってきていると。
「ヨーロッパに来る時から『まずはヨーロッパでボロボロになるまでやる』ということをずっと言い続けてきた。その先に何か答えが出るんじゃないかなと。今はひざのケガが長く続いていて、こういうことは今までになかったので、『これが最初に思っていたボロボロっていうことか......』とか、いろいろ考えたりはしますね」
── 今年40歳になった長谷部誠選手(フランクフルト)は、試合に出られなくても「自分に出場機会が来るのは、チームに負傷者がでるなど何かあった時なので、その時に備えている。出られないことに焦りはない」と話していました。岡崎選手のスタンスはどうですか?
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著者プロフィール
了戒美子 (りょうかい・よしこ)
1975年生まれ、埼玉県出身。2001年サッカー取材を開始し、サッカーW杯は南アフリカ大会から、夏季五輪は北京大会から現地取材。現在はドイツを拠点に、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材中。著書『内田篤人 悲痛と希望の3144日』(講談社)。