「武骨」と「洗練」を繰り返しW杯4度優勝のドイツ代表。カタールでは強度重視のアドレナリン系プレースタイルに原点回帰 (2ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

基盤の守備力に特殊性が加わった時が強い

 ドイツ(西ドイツ)代表の歴史を振り返ると、通底しているのが守備の強さだ。

 体格に恵まれコンタクトプレーに強く、規律があり、徹底的に戦うメンタルの強さもある。ゾーンディフェンスに移行した2006年までは、どの時代にも相手のエースを抑え込むマンマークのスペシャリストがいた。

 1974年西ドイツW杯の決勝でオランダのヨハン・クライフを完封したベルティ・フォクツ、1980年代のカールハインツ・フェルスター、1990年代のユルゲン・コーラーといったエースキラーの存在が、相手の力を削ぎ落している。

 国内の強豪クラブを軸とした編成も、特徴と言えるかもしれない。初優勝の1954年はカイザースラウテルン、1970年代以降はバイエルンが中心になってきた。もっとも、国内強豪クラブを中心に代表を編成するのはどの国もそうだったので、それ自体は珍しくはない。ただ、中心になったクラブが国内で特殊なプレースタイルだったのは面白いところだ。

 1960年代のバイエルンは新興クラブだった。ベッケンバウアー、ミュラー、GKゼップ・マイヤーといった若手の台頭で、一気にヨーロッパのトップチームにのし上がっている。プレースタイルは、ブンデスリーガでは例外的なラテン的とも言えるパスワークが強みだった。そして、このバイエルンのライバル、ボルシアMGも初期のブンデスリーガをリードしてきたクラブだ。

 ボルシアMGもフォクツやギュンター・ネッツァーといった若手の台頭とともに上り詰めたチームだが、厳しいマンマークだけでなく攻撃時には相手を置き捨てて前進する、勇敢でアグレッシブな戦い方が特徴。

 規律正しさや合理性はドイツの国民性だが、一方でそこから解放されたいという欲求も強い。ボルシアMGはその振れ幅をそのままプレースタイルとして実現していて、人気も高かった。

 ある意味、バイエルンよりも国民的なスタイルであり、ユルゲン・クロップ監督などに受け継がれて「ストーミング」と呼ばれた戦法の原形と言える。1970年代の西ドイツ代表は、尖鋭的な2つのクラブの合体だったところに特殊性があった。

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