カタールW杯で6回目の優勝に突き進むセレソン。ヨーロッパナイズされながら、ブラジルらしさを漂わせる魅力的な仕上がり (2ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

多様性でサッカー王国へ

 第1回大会からワールドカップ皆勤賞のブラジルだが、最初からサッカー王国だったわけではない。最初、南米のトップ2はアルゼンチンとウルグアイだった。国土でも人口でも南米の大国であるブラジルが、そこからサッカー王国にもなったポイントは多様性だ。

 バイシクルキックの発明者と言われるレオニダスが活躍した1938年フランスW杯で、ブラジルは3位になっている。「黒いダイヤモンド」と称されたレオニダスは、黒人選手台頭の象徴だ。

 かつて白人しかプレーできなかった時代に風穴を開けたのは、母親がアフリカ移民で父親がドイツ移民のアルトゥール・フリーデンライヒである。褐色の肌に白い粉を塗り、縮れた髪を隠すためにネットを被るなど、人種差別によるトラブルを回避するために涙ぐましい努力をしていたフリーデンライヒは1000得点以上をゲット。1919年のコパ・アメリカ初優勝の立役者となった「サッカー王」だ。

 このスーパースターにレオニダスが続き、やがてペレ、ガリンシャなど多くの有色人種のスター輩出につながっていった。

 現在、多様性は強国の条件ともいうべきものになっている。移民の台頭で優勝したフランス、FIFAランキング上位に躍進したベルギー、さらにドイツ、イングランド、イタリアも多様化しているが、それよりはるか以前に、移民の国であるブラジルは多様化を実現していたわけだ。

 巧さ、速さ、高さなど、さまざまな特徴を持った選手たちでチームが構成されることで弱点がなくなり、戦術的な幅や対応力が広がる。その強みを早くから発揮してきたブラジルは1958年スウェーデンW杯で初優勝。1962年チリW杯も連覇。1970年メキシコW杯の3度目の優勝によって、ジュール・リメ杯を永久保持する栄誉を得た。4大会で3回優勝したこの時期が黄金時代だ。

 史上最強とも言われる1958年のセレソンは、戦術面でも画期的な4-2-4システムを披露している。それまでのWMシステムのインサイドフォワードの1人が前線に残り、1人が中盤に引く。4バックの採用も新機軸だが、最大の発明は「ワーキングウインガー」だろう。

 左ウイングのマリオ・ザガロは中盤に引いて稀代のプレーメーカー、ジジを補佐。前線近くではペレと連係して側面攻撃を担当。右のガリンシャと比べると地味な存在だったが、戦術面でのキーマンだった。

 1958年の4-2-4はその後のベースになっている。1970年W杯のシステムは4-3-3とされていてペレ以外のメンバーも変わっているが、機能性はほとんど同じなのだ。今風に言えば4-2-3-1に近く、カタールW杯に臨むチームもほぼこれである。

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