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カタールW杯の密かな優勝候補? オランダが強いのは、代名詞「トータルフットボール」じゃないほうの時 (2ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

トータルフットボールの動機

 革新は前時代のアンチ・テーゼとして現れる。トータルフットボールは、言わばカテナチオへの反逆だった。

 1960年代はインテルを中心に、イタリア勢のカテナチオがヨーロッパを支配していた。カテナチオは徹底して効率を重視した戦い方だ。相手の4人のアタッカーはすべてマークしてリベロがカバー、厳重な守備でボールを奪うと2、3人のカウンターアタックで得点を狙う。できるかぎり失点を避け、効率よく点をとって勝つことを理想としていた。1-0の美学、勝利至上主義とも言われた。

 トータルフットボールも形のうえではカテナチオと変わりはない。リベロはいたし、マークもする。しかし、やっていることもその動機も、カテナチオとは真逆だった。ボールを奪うと、マークしていた相手を置き去りにしてどんどん攻撃に出ていった。

 少数のアタッカーだけで攻め込むのではなく、より多くの選手が攻撃に関与し、その結果ポジションなどないようにすら見えた。そして敵陣でボールを失った時は、自陣へ下がるのではなく敵陣へなだれ込んで即時に奪い返そうとする。全員で攻め、全員で守る。だからトータルなのだ。

 その中心にいたエースストライカーで、プレーメーカーだったヨハン・クライフは、「1人がプレーする範囲は幅15m程度」と説明している。それ以上動きすぎるとかえってボールは回らないという理由で、現在の「5レーン」に通ずる考え方なのだが、より重要なのはその動機だろう。

「誰だって、より多くボールに触ってプレーしたいからだ」(クライフ)

 簡単に言えば、そのほうが楽しいに決まっているから。任務と献身、勝利への強迫観念に似た欲望、節制、自己犠牲、規律、闘争心など、カテナチオに付随していたものを、「つまらねえ」と一蹴してみせたのがトータルフットボールだったわけだ。

 オランダの選手たちが皆長髪だったのは当時の流行だが、じゃらじゃらと装飾品を身に着け、ジャージはだらしなくパンツの外へ出し、シンガードもしていない。豪快にシュートを外してもヘラヘラと笑っていた。

 ワールドカップで4本のPK(1本はやり直し)を蹴ったヨハン・ニースケンスは、すべて思いきり蹴り込んでいる。西ドイツW杯決勝戦の開始直後のPKは、ど真ん中へ蹴った。

 オランダのユニフォームはアディダス社の3本線が肩に入っていたが、キャプテンのクライフのそれは線が2本しかない。ライバルのプーマ社と契約していたからだ。

 破格だったのはプレースタイルだけでなく、何から何までやりたい放題だった。決勝の前にはホテルに女性を呼び込んで盛大にパーティーをしていたと新聞にスクープされ、夫人やガールフレンドとひと悶着あったという。ミケルス監督は不在だった。バルセロナの監督と兼任していたので、コパ・デル・レイ(国王杯)の指揮を執るためにスペインへ行っていた。

 下馬評では有利なはずの決勝で、西ドイツに逆転負けしたのは、少しばかり調子に乗りすぎていたせいかもしれない。ただ、それも含めてトータルフットボールの魅力だったと思う。

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