「僕は監督として日本に戻りたいと思っている」引退後に多くを経験したセザール・サンパイオが夢を語る (2ページ目)
【セレソンでチッチ監督を補佐】
──元選手として、職業にはいろいろな選択肢があると思いますが、なぜ、その仕事を選んだのですか?
「僕は現役時代から、サッカーにはさまざまな仕事があることに注目していたんだ。重要なのは、今やサッカーはビジネスになり、それを統括するためには、勉強が必要だということ。僕は引退後に大学でそのメカニズムをきちんと学び、今も日々、勉強し続けている。サッカーは運営もビジネスも競技そのものも、生き物のように変わっていくものだから。
ブラジルに必要なのは、倫理的な概念だ。才能ある選手がピッチの外で自己管理できないとか、素晴らしい歴史を持つクラブが負債などで価値を落とす、ということのないように、目標に向けて念入りなプロジェクトを組み立て、真剣な仕事をするようにコーディネートしたいんだ。
テレビやラジオのコメンテーターをしたのも、いい経験になったよ。高いレベルでコミュニケーションを取るために工夫をした。さまざまなことに対して俯瞰的な見方をし、根拠をもって具体的に解説しようとしたんだ」
──そういう積み重ねが、別の仕事の糧にもなっているんですね。
「サンパウロ内陸部にあるコメルシアルFCというクラブで、社会プロジェクトもやっていた。貧しい家庭の子どもや、社会的に困難な状況にある少年少女たち──たとえば、親が刑務所に入っていたり、育児放棄していたり、そういうさまざまな状況にいる子どもたちの社会性を育てるために、サッカーを通して人間形成の手助けをして、雇用までの道筋をつけていたんだ。
そのうち、裕福な家庭の子どもたちも受け入れるようになった。何かの理由で不登校になったり、目標を見失うこともあるからね。そんなふうに常時500人近い子どもたちの育成に携わっていた」
──記憶に新しいのは、ブラジル代表でチッチ監督のアシスタントコーチをしていた姿です。
「チッチのことは以前から尊敬していたけど、監督ライセンスの講座を受講していた時に、一緒にいろいろな課題に取り組む機会に恵まれて、監督哲学やサッカーに関するさまざまな面で、考え方がとても似ていることがわかったんだ。それで、彼が誘ってくれた。
多くの選手と同じように、僕も監督になるということをひとつの目標として考えていたけど、まずはいろいろな形でサッカーと関わってみた。その後、チッチとともにブラジル代表を率い、自分が再びピッチに帰る時が来たと感じたんだ。3年2カ月間、代表で仕事をし、ワールドカップでも仕事をした。それがあったから、その後にフラメンゴ、そして今はサントスで、アシスタントコーチをしているというわけだよ」
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