中村憲剛が引退から3年半で学んだこと「指導者の数だけスタイルがある。最初からガチガチに守る発想はない」
中村憲剛「S級ライセンス取得までの3年半」を語る(後編)
◆中村憲剛・前編>>レポートを200枚書き、ミシャに会い、カナダへ飛んだ
S級ライセンス取得のため、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督のもとを訪れたり、カナダのサッカークラブで海外研修を行なうなど、指導者となるためにさまざまな経験を積んできた中村憲剛氏。その貪欲な姿勢は、現役時代の時となんら変わらない。
ただ、S級ライセンスの受講を終えた今、練習ひとつをとっても、選手と指導者では見るべきポイントがまったく違うと言う。この引退してからの3年半で、中村氏は何を感じ取ったのか。プロのチームを率いる資格を得て、これからどういう監督を目指していくのか、将来像も聞いた。
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ロールモデルコーチとして日本代表の活動にも参加 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る── 一部では「ライセンス制度は必要ない」という声もありますが、S級を受講し終えてみて、憲剛さんはあらためてどういった感想を持ちましたか。
「正直に言うと、僕も晩年にかけて引退後のライセンスのことを考えた時に、『もっとラクして取れないかな』と思っていた側の人間でした。でも毎年、真正面から真摯に取り組むなかで、やっぱり必要だなと感じています。
選手と指導者はまったくの別物で、求められる要素もまったく違うからです。それを引退直後、C級で小学5年生相手に指導実践をした時に痛感しました。同じ現象を見ても、全然別の物に見えることが多々あったんです。
そこから毎年受講しに行き、引退してもう4年目になりますが、ピッチの上にいる感覚から、外から見る感覚に変わってきている。現役じゃなくなれば、その視点になっていくのは当然で。そして、現役としてピッチのなかで解決できなくなり、指導者として選手たちに解決してもらうためには、求められる要素は全然違ってくるなと。
その時点で別物じゃないですか。やるのは選手たちなわけだから、圧倒的に前提条件は変わりますよね。だから、指導者として学び直すんだと思いました。学び直すというよりも、目線が変わったので、『新たな学び』に近かったですね」
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著者プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。