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松井大輔がプロ生活23年を振り返る「ちゃんと話すと、本1冊でも収まらないよ(笑)」 (3ページ目)

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi

【サンテティエンヌ時代からは氷河期です】

── キャリアの節目となったのは2000年でした。京都で4年半を過ごしてアテネ五輪に出場し、初めての海外移籍となりましたが、その選択に迷いはありませんでしたか?

「当時はすでに英さん(中田英寿)や伸二くんが海外で活躍していたのを見ていたし、僕も早く海外に行きたいと考えていたので、迷いはなかったです。そもそも僕は中学の作文で『将来は海外に住みたい』と書いていたくらいなので(笑)。だから、フランスに向かう飛行機のなかでは、自分のプレーがどこまで通用するのか、もうワクワクしかなかったですね。

 実際、最初にル・マンでプレーした時も、適応するのにあまり苦労した思い出はありませんし、技術の部分で劣っているとも感じませんでした。ただ、向こうは評価基準がテクニックではなく戦いの部分だったりするので、そこは意識しながら合わせつつ、テクニックという自分の武器もそのなかで貫いていこうと考えてプレーしていましたね」

── その後10年にわたって海外でプレーしたわけですが、今振り返って、一番充実していた時期はいつでしたか?

「やっぱり初年度でリーグ・ドゥからリーグ・アンに昇格したル・マン時代ですね。チームとして常に上位だったわけではありませんでしたが、最後のシーズンは9位まで食い込みましたし、リーグカップの準々決勝では自分のゴールで初めてリヨンに勝つこともできた。それも含めて、あの4年間はすごく充実していましたね。

 逆に、その次のサンテティエンヌ時代からは、僕にとっての氷河期です(笑)」

── 個人的には、2010年の南アフリカワールドカップで活躍したので、あそこからキャリアとしてステップアップしていくと見ていました。

「ええ、僕的にもそう考えていましたが、現実は......。

 サンテティエンヌ時代にいろいろ悩んで苦労して、1年でグルノーブルに移籍して、目標のワールドカップに出場したことで少し気持ちが晴れた感じはありましたけど、その後にうまく移籍ができなくて。だから、その後のトム・トムスクからスラヴィア・ソフィアまでの3年は、メンタル的にもだんだん苦しくなった時期でした。あの頃は本当に苦労しましたね」

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