「ヴェルディでは『もう無理だ』と思って逃げました」小林祐希が明かすジュビロへの移籍の真相とチームを変えるということ (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • photo by Getty Images

 期限付き移籍だったが、中盤で故障者が出た磐田にとって、小林は必要な選手になり、そのシーズンの終わりに完全移籍をした。

「磐田でも、最初は苦労しました。環境を変えて、楽しくサッカーをしたいという気持ちでいたんですが、ヴェルディでそうだったように、人間的に未熟だったので、いろんな人と衝突したりして......。たぶん、本当の意味での自信が自分になかったんでしょうね」

 小林が自らの変化を実感できたのは、2年後の2014年だった。

「自分が変わったな、成長できているなと感じたのは、(ペリクレス・)シャムスカが来てからですね。監督のサッカーにハマり、『今、自分はきてるな』『サッカー楽しいな』って思えたんです。

 シャムスカが途中でいなくなったあとは、名波(浩)さんが監督になりました。名波さんには『プレーは好きにやればいい。あとは、おまえが中心選手としてチームを引っ張っていくうえで言動に気をつけろ』って言われたのですが、それが結構大きかったですね。そこから言動を気にするようになり、コツコツと頑張っていたら、日本代表に入ることができたので」

 2015年、J2を戦う磐田のなかで、小林は中心選手として活躍。最終節の大分トリニータ戦では、アディショナルタイムに決勝ゴールを決めてJ1昇格に大きく貢献した。同シーズンでは、40試合に出場し6ゴールを挙げてキャリアハイの成績を残した。

 翌2016年にはJ1でプレー。リーグ戦で3試合連続ゴールを記録するなどして、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の日本代表に初招集された。この頃の小林は飛ぶ鳥を落とす勢いがあった。

 その夏、小林は海外移籍を決めた。

「2015年ぐらいから海外に行きたいなぁっていう気持ちと、J1でもプレーしたい気持ちが入り混じって、結構悩んでいました。でも、昇格を決めたゴールで『J1でやろう!』と気持ちが吹っ切れた。J1では半年間、すごく楽しくサッカーができた。そのいい流れでオランダに行けました」

 小林は2016年8月、オランダのへーレンフェーンに移籍した。チームにはすぐに溶け込んで、1年目から中心選手としてプレーした。

「最初は海外で環境が大きく変わり、言葉もわからず、いろいろと苦労しました。でも、サッカー面ではプラスばかり。それまで、戦術というものを考えたことがなかったんですけど、オランダが作った戦術を学べた。それはサッカーを理解し、個人戦術を膨らます意味でもすごく大きかったですね。

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