パリオリンピックに臨むなでしこジャパン・北川ひかる――どん底まで落ちたエリートはどうやって復活を遂げたのか
なでしこジャパン
北川ひかるインタビュー(前編)
北川ひかる(INAC神戸レオネッサ)が、なでしこジャパンに戻ってきた。2024年2月、パリ五輪アジア最終予選の直前、追加招集という形だった。
代表復帰の予感はあった。その3週間前、皇后杯決勝で北川は優勝した神戸の左ウイングとして、存在感を示していたのだ。延長終了間際には、ゴール前に自ら飛び込んでいって決定機を生み出すなど、スタジアムを沸かせた。
その直後、舞い込んできたなでしこジャパンへの追加招集の一報。パリ五輪への出場権をかけた国立競技場での一戦(vs北朝鮮)でスタメンの座をつかむと、プレースキッカーも担当し、多くのチャンスを作り出した。そして、チームの勝利とパリ五輪出場切符獲得に貢献。自身のオリンピック出場への扉も一気に開いた――。
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苦悩のときを経て、再びなでしこジャパンに戻ってきた北川ひかるこの記事に関連する写真を見る 北川の卓越したスピードに、最初に目を向けたのは、2014年U-17女子W杯の舞台だった。若きレフティは、FWからコンバートされたサイドバックのポジションで躍動していた。
「JFAアカデミー福島時代、中学の時にときどきサイドバックにも入ったりしていたんですけど、高校に上がってから本格的にサイドバックにコンバートされました。サイドバックは守備も攻撃もできて、(タイミングよく)オーバーラップすれば、フリーでボールをもらえることも多かったりするので、最初から(プレーしていて)結構楽しかったですね」
彼女の代名詞でもある"スピード"は幼い頃からの持ち味だったが、この頃から彼女のなかで自身のスピードに対する考えに変化が起きる。
「U-16とかU-17の代表に選ばれるようになって海外のチームと試合をすることが増えてくると、スピードだけではやっていけないなって、気づき始めました。いくらスピードが持ち味でも、それだけだといずれ(相手に)捕まる。スキルアップはもちろん、頭を使ってプレーすることを積み上げていかないと、戦えなくなるって思いました」
新たな課題を抱えつつも、JFAアカデミー卒業後、北川は浦和レッズレディースに入団。経験豊富な選手たちとの、熾烈なポジション争いの日々に突入していく。
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